食事が進むにつれ、酒も進む。
馬超の食べ方は非常に上品なのだが、気が付かないうちに結構な量を食べている。
孫策は、それこそ『食べてます』という感じで、両手が空くのを見ることもない。
の勧めで馬岱も共に食事を取っているが、配膳や酒の手配で食べるのもままならずにいる。
手伝おうと腰を浮かせるのだが、足を気遣われて逆に家人を困らせるばかりだ。仕方なく、おとなしく席に腰掛ける。
と、孫策がの前に皿を置いた。
「これ、美味ーぞ、食っとけ!」
はぁ、と頷くものの、既に腹は膨れている。これ以上は入りそうもない。
武将と言うものは、大食漢なのだろうか。そう言えば、ステージ中でも何度肉まんや鳥の丸焼きを食ったかしれない。
酌でもしようかと酒瓶を手に取ると、さっと杯が差し出される。それも、二方向からだ。
馬超は孫策を睨めつけ、孫策は馬超に挑発的な笑みを送る。
胃が痛いのも、イマイチ食べられない理由の一つではなかろうか。
「……伯符はお客様だから、伯符が先ね」
ね、と念押しすると、馬超の顔がみるみる曇る。
何と手の焼ける子だろうと苦笑しながら孫策を振り返ると、こちらは満面の笑みでを見ている。
お前はお前で少しは遠慮しろ、と内心苦々しくなって、は孫策の杯に勢い良く酒を注いだ。
「ぅわっ」
「あ、ごめ」
勢い良く注がれた酒は、杯の底で跳ね上がり孫策の手をも濡らした。
びしょびしょになった手から酒が雫となってぽたぽたと落ちていく。
「」
「何」
「舐めてくれ」
「死ね」
何だよーお前はよー、と卓に突っ伏して嘆く孫策に、は白い目を向ける。どうも、かなり酔っているらしい。あれだけ呑めば当然かもしれない。
「……だって、お前、馬超とは毎晩やってんだろ? いいじゃねぇか俺にもちっとはご奉仕してくれても」
「うるさい、ろくでもないこと言ってないでさっさと食べなさい。帰れなくなるわよ」
「あ、今日俺ここに泊まるから」
「「何ぃっ!!」」
孫策の言葉に、と馬超の声がハモる。
二人の視線を浴びて、孫策は小首を傾げる。
「だってよ、劉備がせっかくだから泊まってくるといいっつってたぜ。何だ、俺はてっきり馬超に話がいってるもんだとばっか思ってたぜ」
聞いていないと吠える馬超に、孫策はあくまでマイペースに、でも今言ったからいいだろ、などと嘯いている。
これは孟起の負けだなぁ……。
頬杖を突きながら、は二人を見比べた。
直情的なのは二人とも同じなのだが、愛用の槍と同じく頑ななまでに一途な馬超と、同じまっすぐでも青竹のようにしなやかな孫策ではこうした口論の時に圧倒的な差が付く。
生まれた土地柄の問題かもしれないが、二人を見ていると不思議な気持ちになった。
片方は既に滅ぼされた、片方は今や破竹の勢いの、国の跡継ぎとして生を受けた者同士。短気なところも意地っ張りなところも、本当に良く似通っている。
並べてみれば一目瞭然で全然違う二人なのに、ふとした時に重なって見えるのが不思議といえば不思議だった。
「な、」
「は?」
突然話を振られ、は思考から立ち返る。
「駄目だ、駄目に決まっている!」
「いいじゃねぇか別に。な、?」
こういう時は迂闊に首を縦に振ってはならない。もようやく学習したのだ。
「だから、何がよ」
「俺の寝床。お前と一緒でいいって言ってんだけどよ、馬超が」
「駄目に決まっている! 何を考えている貴様!」
あー。
は、溜息とも唸り声ともつかぬ声を上げ、二人を見遣った。
「……二人で寝れば?」
イヤダ、と同時に返ってきて、も特にそれ以上言い募ろうとは思わなかった。
困った人達だなぁとやさぐれていると、席を外していた馬岱が戻ってきた。
「何かありましたか?」
雰囲気から察したらしく、馬岱がに向け首を傾げる。
「岱、こいつを放り出せ!」
「だから、俺は一緒でいいって言ってんじゃねぇか!」
「はい、お二方とも黙って下さい。お二方に伺っても、話は一向に読めませんので結構です。私は殿から、簡潔かつ簡略に説明を受けますのでそれまでいらぬ言動はお慎み下さいますよう」
いなし方を心得たのか、馬岱は何ら動じることなく二人を黙らせた。
は、馬岱の望み通り簡略に説明をした。
「伯符が泊まるって。室の用意がないなら私と同じ牀でいいって言い出して、孟起が怒った」
「なるほど、簡略なご説明痛み入ります」
馬岱は家人を呼びつけ、孫策の為に室を用意するよう申し付けた。
「俺はと」
まだごねる孫策に、馬岱は苦笑いを浮かべた。
「幾らなんでもそれは許されますまい。ここはわが従兄にして主たる馬孟起の屋敷。その想い人たる殿と、例え孫策様といえども同衾させるのは道理が通りません」
ご自分のお立場を、相手と違えてお考え下さればご理解いただけるかと、と馬岱は慇懃無礼さながらにぴしりと言いのけた。
孫策は、まだぶつぶつと口の中で文句を言っていたが、しまいにはしゅんとして項垂れてしまった。
大の男が、と馬超は睨めつけるが、同じ厄介な女に惚れた敵同士、気持ちはそれなりにわかって胸が痛んだ。
本来であれば、ざまをみろ、と嘲るだけだと思うのに、不思議なことよと馬超は眉間に皺を寄せた。
を盗み見れば、何を考えているのかさっぱりわからない。ただ落ち込んだ孫策をじっと見詰めている。笑んでいるわけでもなく惜しんでいるわけでもない。
にとって、孫伯符という男は如何なる存在なのか。
そして、馬孟起という男はどれだけの比重を持つ存在なのか。
不安に似た焦燥に駆られ、馬超は俯いた。
「はーくーふー」
が突然、子供に呼びかけるように孫策を呼ぶ。
孫策が顔を上げ、釣られるようにして馬超も顔を上げた。
歌が、響く。
明るい、楽しげな歌だった。
孫策の顔がみるみる明るくなり、椅子を引き摺っての傍に座る。
は苦笑いを浮かべながら、孫策に向け歌い続ける。
それを見ながら、馬超は村八分の居心地悪さを感じていた。手持ち無沙汰に酒を煽るが、苦いばかりで美味くない。
それほど上手い歌とも思えない。物珍しくはあるが、それだけだと思う。
馬超がを好きになったのは、何がきっかけだっただろうか。少なくとも、こんな歌などのせいではなかったと思う。
こんな歌のせいで、が自分以外の男から想われるようになったという事実が、馬超には気に食わなかった。
不意に、馬岱に話そうとした言葉を思い出した。
――俺はな、岱。俺は、を、……。
諦めようか、と一度は思った。傷つけてばかりだからだ。
独り占めしたいという気持ちは、誰よりも強いと思っている。趙雲などは、よく我慢していられると
いっそ呆れるような思いだ。
けれど、もし、が自分を選んだとして。
自分はを幸せにすることが出来るだろうかと、ふと考えてしまった。
一度何もかもを失くしてしまったからか、馬超の根底には猜疑の闇がどんよりと凝っている。
が好きだという気持ちに変わりはないが、想いが強くなればなるほど自制できなくなるのを、馬超は我が事ながら情けない気持ちでいっぱいだった。
守ってやりたいと思うが、本当に守れるのだろうか。
己の想いは、にとってはただの重しに過ぎないのではないだろうか。
本当に、自分はが好きなのだろうか。
にとっては、ただの迷惑なのではないだろうか。
「孟起」
はっと我に返ると、が心配そうに覗き込んでいる。
「どうしたの、気持ち悪くなった?」
いや、と否定するものの、何気なく額に手をやると、気持ち悪いほど汗をかいている。
これではが心配して当たり前だろう。
「……、足は」
ふと気が付いてを見ると、片足立ちで立っている。卓に掴まりながら来たから大丈夫だとは言うものの、動かしてはいけないのだから足にいい訳がない。
「すまん」
馬超が頭を下げると、はしばらく馬超の顔を見詰め、くるりと背を向けるとおもむろに膝の上に腰掛けた。
「どうしたの、孟起。孟起らしくないよ」
背を揺らし、どすんどすんと体当たりしてくる。
不貞腐れているような仕草に、馬超は呆気に取られてを見るしか出来なかった。
「……嫌になっちゃった?」
「そ……そんなわけがない!」
馬超が叫ぶと、は俯いて、そっか、とだけ呟いた。どう捉えたのかはわからない。
結論を待たせていることを、が酷く気に病んでいるのも知っている。いっそ馬超から切り捨ててやった方が、の心を軽く出来るかもしれない。
けれど、やはり自分から身を引くことは出来なかった。選ぶ権利はにあるのだから、選ぶ辛さも甘受してもらわなければ不公平だ。
人の心が公平、不公平で測れればこれほど楽なことはない。
わかってはいたが、馬超は敢えて目を背けた。
が欠伸をし、目を擦る。もうかなり夜も遅くなっているから、眠くなってきたのだろう。
室へと運んでやろうと腰を上げると、孫策がちょいちょいと手招きをしてきた。
馬超は逡巡したが、馬岱にを預け、室に運ぶよう言いつける。
馬岱もも、少し心配そうに馬超を見たが、馬超は苦笑して二人を送り出した。
「何か」
孫策は無言で酒瓶を差し出し、馬超も杯を出して受けた。そのまま自分の杯を満たし、一気に煽る。
「……あのな。こーゆーの、俺としてはホントは嫌なんだけどよ」
重い沈黙の後、孫策はゆっくりと口を開いた。
馬超も黙って孫策の言葉を待つ。
「あいつが、真っ先に切り捨てようとしたのって、俺だから」
『あいつ』というのがに他ならぬことはすぐにわかった。だが、言葉から受ける衝撃は緩和されることはなかった。
初耳の話だ。
「そりゃお前、べらべら話すようなもんじゃねぇしな。つか、俺だって話したかねぇよ、こんな話。思い出すのもイヤだからな」
そう言って、孫策は、呉でのとの遣り取りを、それこそ無理矢理体を繋いだことまで包み隠さず話した。
馬超は青ざめながらも、孫策の話を黙って聞き続けた。
「諦めようとしただろ、お前」
見抜かれて、馬超はびくりとして顔を上げた。
「諦めても、楽になんざなれねえぞ。俺が保障する。すげぇ気持ち悪くて、情けなくて、鼻が詰まって通らねぇみたいな気になる」
だから、諦めんなと孫策は話を締めた。
馬超は複雑そうな顔をしながら、頷いた。疑わしい目を孫策に向け、孫策は孫策でむっとして酒を煽る。
「何故、俺にそんな話を?」
「何でもクソもねぇ、あの女がどれだけ我がままで面倒臭くてやってられねぇかなんざ、趙雲抜かせばお前くらいじゃねぇのか、わかってる奴ってな」
まあ何だ、あれだ、えぇと、と孫策は何か言おうとして唸り声を上げる。
「……同病相憐れむ、か?」
「そう、それだそれ」
わかってんじゃねぇか、なら早く言いやがれと唸るように孫策が言い、二人は同時に黙り込んだ。
次の瞬間、どっと笑い出す。
「あー、もう、お前も何だってあんな面倒な女に惚れちまうかなぁ」
「それを言うなら貴殿もだろう」
「貴殿とくるか。いいよ、『孫策』でよ」
「しかし、それでは同盟国の君主の一族に対して」
「いいって、固ってぇなぁ、お前」
「固くて結構、これが俺の正義だ」
そしてまた笑いあう。何が可笑しいのか、もうお互いにわかってない。ツボに入ってしまった状態で、ひたすらげらげらと笑い転げた。
が目覚めると、やたらと体が重い。
寝惚けて未だ焦点の合わない目を擦り、己の状況を把握する。体を起こそうとするのだが、誰かにがっちり抱えられて身動きが取れない。
首は自由になることに気付き、えいやと伸ばして自分の体を見てみる。
左右から腕が二本伸びて、の体を戒めている。
何じゃ、こりゃあ。
左を向けば孫策が、右を向けば馬超が、それぞれ酒臭い息を吐きながらぐうぐうと気持ち良さそうに眠っている。
たらり、と冷や汗が流れた。
アリエナーイ。
思わず呟く。
こっそり抜け出したいのだが、何せ戒めの腕ががっちりし過ぎて、非力なでは解きようもない。
起こすのも何かイヤだ。
その時、室の向こうから誰かが忍び寄ってくる足音がした。首を伸ばして伺うと、誰あろう馬岱だった。
――馬岱殿ー! 助けて下さいー! 何か恐いですー!
がほぼ口ぱくで馬岱に訴えると、馬岱も深く頷いて返した。
――私も恐いからイヤですー!
馬超は今日休みだから、そのまま起きるまでほっといてあげて下さい、と、やはり口ぱくでそんなようなことを言い残し、馬岱はまた忍び足で去って行った。
イヤーン。
は、四面楚歌の絶体絶命感に脅えながら、左右で眠る厳つい武将二人から逃れる術を必死に考えた。