孫策と馬超が仲良くなってしまった。
 別に構いはしないが、絶対にこの二人は仲が悪いままだろうと見ていたには、意外と言うより他なかった。
 と言うか。
 仲は悪い。悪いと言うか、よく喧嘩する。喧嘩するのだが、孫策は思い出したようにやってくる。馬超も、孫策が来ると普通に家に上げる。上げてから喧嘩する。罵りあう。胸倉を掴み合っての喧嘩にも発展する。
 まぁ、だいたいそこでうんざり顔の馬岱が現れて、容赦なく厳しい説教をかまして納めるわけだが、としては馬鹿馬鹿しい限りだ。
 城でもこんなですかと言うと、馬岱は苦々しい顔をに向ける。
 こんならしい。
 馬岱の気苦労も並大抵ではあるまい。
 また、二人が二人とも、喧嘩の合間に嬉しそうな顔をちらりと浮かべるから性質が悪い。
 じゃれあっているだけだと見せ付けられる。
 だから馬鹿馬鹿しいというのだ。
 孫策が馬超と仲良くなってから、馬超がと『いたす』ことはなくなった。
 ひょっとしたら、馬超は寂しかっただけなのかもしれない。
 離れていた時間を埋めるべく、じたじたともがいていただけかもしれない。
 優しくしてあげれば良かったな。
 は、少しだけ反省している。
 けれど、馬超と孫策が仲良くなることで、こんな落ち着かない毎日を過ごすことになろうとは思わなかった。

「浮かない顔をなさっておられるな」
 医師はの足を見ながら、ぽつりと漏らした。
 誤魔化すように空笑いしたが、この老人には何もかもお見通しなのだろう。
「ま、だいぶよろしい。将軍もようやく我慢することを覚えられたらしいな。たまには、気分転換なさってよろしい。だが、まだ歩くのはいかん」
「歩くのは、駄目ですか」
「まだ、いかんな。急に重いものが乗っかってしまうことになる。解すところから始めんと、いかん」
 は小さく溜息を吐いた。
 ことの起こりが何時だったか、どちらが先だったか今はもう判然としない。
 歩けないを、食事の間に連れて行くのは馬超か孫策のどちらかだった。
 馬岱が先導することもあったし、三人だけで移動と言うこともあった。
 不意に……それこそ何気なくが上を向いた拍子に、抱きかかえていた馬超(あるいは孫策)が口付けてきたことがある。
 驚き、固まるに、悪戯っぽく微笑んでいた。
 その次の日、やはり馬超(あるいは孫策)が視線を逸らした隙に、孫策(あるいは馬超)がの唇を掠め取るように口付けを落としてきた。
 交互に相手を違えて、まったく同じようなことをしている。
 口付けるだけで、何があるわけでもない。
 夜は、それこそ川の字に並んで眠るような毎日だ。これは、馬超からの無意識の所業を聞き及んだ孫策が、なら俺もと割り込んできただけに過ぎないが、それにしてもいい年した男が二人、惚れた女を挟んで川の字と言うのは不健康に過ぎないのではないだろうか。
 いや、3Pしたいって言ってるわけじゃないですよ?
「しかし、たまには思い切って気を緩めてみてはどうかな」
「はいぃ?」
 自分のツッコミに、あまりにも的確な合いの手が入ったもので、は動揺して声がひっくり返った。
 医師も驚いている。
「……いや、前も言ったが、外に出てみるのも良かろうと、そういう話じゃが」
 ああ、外、お外ですね、野外ですね。
 直後、連想した言葉にはもんどりうって倒れ伏した。
「……娘さん」
「……はい……」
 もそもそと起き上がりながら、は思わずオーバーアクションをしてしまった自分を恥じた。
 すいません、腐女子ですいません、『野外プレイ』とか考えてすいません。
 口に出さずにひたすら懺悔するに、医師は思わしげに眉を寄せた。

 医師が帰った日の夜、馬岱が心配そうにやってきた。
「大丈夫ですか、殿」
 何がだろうと首を傾げると、馬岱は手にした竹簡をに渡してきた。
 開いてみると、細い整った筆跡がつらつらと書き連ねてあった。
 星彩からだった。
『先日お話した件、急な話ではありますが、明日など如何でしょうか。辰初の頃、お迎えに参上いたします。ご都合悪しければ、その時にでもお申し付け下さい。殿には、御身一つで御出で下さればと存じます。星彩』
 堅苦しい文面は、何処か緊張で息苦しさを感じるほどだった。
「私はいいですけど、ずいぶん急ですね」
 明日は、春花は家の用事で来られないのだ。後で知ったら、きっとがっかりする。一緒に行こうと約束していたからだ。
「私がお願いしたのです……その、医師殿の使いが城まで見えて、殿は、足は良くなっているが何か酷く気詰まりしているようだ、と……ですから」
 春花殿には、星彩殿にお願いしてまたご一緒する機会を設けていただくことに致しますから、と馬岱は困ったように笑った。
 ああ。
 は納得した。
 だから、馬岱は心配そうにしていたのだ。
「有難う、馬岱殿」
「いいえ……あの従兄上に加えて、今度は孫策殿でしょう。悪気はないのでしょうが、殿が気疲れなさるのも無理からぬことですよ」
 本当は気疲れなどではないのだが、はえへらと笑って誤魔化した。

 ロープか何かで繋いでおいてくれればいいのだ。
 は薄目を開けて、目の前で眠りに着く馬超の顔をじっと見た。
 白い肌はとても戦場を駆けているとは思えないほど肌理細やかで、やや高めの鼻、薄めの朱の唇は男のものとは思えないほど整っている。頬に影を落とす睫も、穏やかな寝息に併せて微かに揺れていた。
 それでいて、全体を合わせて見ればはっとするほど男らしい、雄々しい顔つきをしている。
 錦の一文字は伊達ではないのだ。
 寝汗のせいか、馬超の体臭がの鼻をくすぐった。決して嫌ではないのだが、皮膚の表面がざわめいてしまって、押さえるのに理性を総動員しなくてはならない。
 そうなのだ。
 これは、かつて趙雲が、無意識にを苛んだあの所業と同じなのだ。
 更に悪いことに、相手は一人ではない。
 今夜はたまたま馬超一人だが、孫策がいれば反対側に孫策がいる状態で寝なければならない。
 が夜中にふらふら歩いたりしないよう、二人で取り押さえてくれているのだから文句も言えないが、人前で(例え相手が見ていない隙を狙ってとは言え)口付けを交わすという行為の後、落ち着いて安眠できるかと言えばできるわけがない。
 心臓がどきどきと高鳴って、体が熱くなる。気のせいか、足の間に湿り気まで感じる気がする。
 馬超の目が、突然ぱち、と音を立てて開いた。
「眠れないのか」
 返答に迷うが、こくりと頷く。
「そうか」
 馬超の手がの背を包み込み、ぎゅっと力を篭めて抱き込む。
 ぞくぞくとして、体が痺れるようだった。
 ぽんぽん、とあやすように背を叩かれる。
 ん?
 上目遣いに見上げれば、馬超は再び夢の中に沈んでいったところだった。
 思わず目が釣り上がる。
 いや! いや待て私。孟起は仕事して帰ってきて疲れてんだから、夜ぐらい静かに寝かせてあげなくっちゃっていうか、だったらいっそ自室で寝てくれ!
 ロープでいいよもうロープで! 腕いらないからロープ!
 縛りですか!
 ちげーよ、ばーか!
 虚しい一人ボケ一人ツッコミも、何とかして体を冷まそうという涙ぐましい努力なのである。
 笑ってはいけない。
 そして早く寝てしまおう私。
 それにしても、人がその気になった時に限って相手してくれないんだもんな、とは半ば自棄気味に自問自答した。
 男と女の間には、暗くて深い溝があるのでしょうか。
 答えは、敢えて出さぬが吉と見た。

 翌日は良く晴れた、涼しげな日和だった。
 何処かで咲いているらしい香しい花の香が、風に乗って届いた。
 これは絶好のピクニック日和でござる。
 は玄関で腰を下ろして星彩を待っていた。
 身一つで、と手紙にはあったが、馬家の家人達が腕によりをかけて拵えた甘味の数々が、の膝の上の布包みにたんと納まっていた。
 弁当なりは星彩が用意してくるのだろうから、重ならぬようにと気遣ってくれたのだ。
 何も知らない馬超は、いつも通り朝から城に上がっていった。内緒にして意趣返ししてやるといいですよ、とは馬岱の言だ。
 星彩と出かけるのが何で意趣返しになるのか、にはわからなかったが、まぁいいやで流している。
 そろそろ時間かと門の方を見遣ると、馬がぞろぞろと入ってくるのが見えた。
 の顔が強張る。
 そこには、星彩と関平、そして、何故か趙雲が居たのだ。
 家人達は心得ていたらしく、驚きもせず拱手の礼をして三人の将を出迎えていた。
 趙雲は、すたすたと早足でに近付くと、有無を言わせず抱き上げる。
「……し、子龍、え?」
「少し太ったようだ」
 困惑するに、趙雲は乙女心にぐさりと突き刺さるようなことを言う。
「良かったな」
 良かねぇよ。
 むっとするに、趙雲は堪えきれぬというように笑みを漏らした。
「元気になったと言っているんだ。帰ってきたばかりのお前は、やつれて肌に艶もなかったからな」
 それとも、毎晩よほど可愛がられているのか。
 にしか聞こえないような小声で、酷く下世話なことを囁く。
「子龍!」
 突然怒鳴りだした(そうとしか見えなかった)に、星彩は驚き戸惑った表情を浮かべる。
「あの、やはりご都合が悪かったのでしょうか」
 俯きがちになる星彩に、は慌ててフォローを入れる。
「いやっ、いや、凄く楽しみにしてましたよ! 天気もいいし! あ、これ、後で皆で食べましょう、甘いもの、ね、星彩殿、ほらっ!」
 星彩の手に布包みを押し付けると、星彩の顔にほんのりと笑みが浮かんだ。
 関平が布包みを預かろうと手を出すと、星彩は珍しく慌てて包みを抱え込んだ。
「これは、私が」
「いや、星彩。それは関平に預けておくといい」
 星彩が不思議そうに振り返ると、趙雲は星彩の後ろにを乗せてしまった。
 え、と茫然自失の星彩が、趙雲を見詰める。
「その方が、馬にはいいだろう。私の馬にも関平の馬にも、それなり荷を乗せてしまったし」
 星彩は、背後のを振り返り、恐る恐ると言った態で口を開いた。
「わ……私の馬で、よろしいのですか?」
 よろしいも何も、に否やはない。むしろ、星彩が嫌なのではないかと思うほどだ。
 お願いしますと頭を下げると、星彩は俯いてしまった。
 好かれているかと思ったのだが、どうも判断がつかない。
 趙雲を見遣ると、笑いを堪えているようだった。
「さ、急がねば時間が惜しい。行こう」
 趙雲が馬にまたがり、先導する。二番手に関平が、これは星彩を気にしてか、振り返り振り返り趙雲の後を追う。
「あの……私に、しっかり掴まっていて下さい……」
「あ、はい」
 星彩の腰に手を持っていかれ、言われるままに掴まる。
 うひゃあ、ほっそいなぁ。
 でも抱きこめるくらいかもしれない。
 それでいて胸は大きいのだ。うらやましいことこの上ない。
 落ち着かなげにを振り返っていた星彩だが、関平の呼び声に答えてようやく馬を走らせた。
「うひゃあ」
 が素っ頓狂な声を上げ、驚き振り返った星彩ににっこりと笑いかける。
「風、気持ち良くなりましたねぇ」
 無防備な笑顔に釣られたかのように、星彩もにこり、と笑った。
 楽しい一日になりそうだった。

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