成都から少し行けば、すぐ山の中に入る。
 ここら辺の地形は本当にバリエーションに富んでいる。成都は盆地で、年間を通して暖かいが、馬を走らせればすぐ山の中だ。盆地の特徴からか湿度が高く夏は辛いが、それでも木陰に入るなり少し西に行くなりすれば、簡単に涼が取れる。
 曇りがちな天気の続く中、今日のように綺麗に晴れる日は珍しいと言えた。
 馬をしばらく駆けさせていると、徐々に空気が冷たくなってくる。山間部に入ったのかもしれない。
 先程までの涼しさが、今度は薄ら寒く感じられる。
 星彩は特に何も感じていないようだ。体の鍛え方が違うのかもしれない。
 山道と思しき道をずっと走り続けていると、木々が徐々に色付き始める。観光地の紅葉のように固まって色付いているわけではないが、ぽつりぽつりと色付いた木が後方に流れていくのを見るのもなかなか楽しい。
 風が直に頬に当たって、揺れが激しいのを気にしなければちょっとしたオープンカー気分だ。
 と、馬が速度を緩めた。
 先導していた趙雲や関平は既に馬を降り、辺りの雑草を適当に切り払っているところだった。
 荷の中から小さな香炉を幾つか取り出すと、出来上がった小さな広場の端に置きながら何かを燻している。虫除けだと言う。
 は星彩と共に馬上で待機していたが、この時代の思った以上に進んだ文明には改めて驚かされる。無双だからだろうか、とも思うのだが、もう少し調べておけば良かったな、と後悔することもままあった。
 現代人だと自慢できるようなことなど、ほとんどない。電気や機器がなければ、の知識などまず役に立たないのだ。
 ホントに役立たずだなぁ、とがっくりしていると、星彩がの様子をじっと伺っている。
「……お疲れに、なりましたか。休みなしでだいぶ馬を進めましたから」
 表情は極めて冷淡なのにも関わらず、心配そうな目でを見ている。
 この子も、本当は激情の人なのかもしれない。
 は笑みを浮かべて星彩に答えながら、ふとそんなことを考えた。
 激情は、包み隠さず押し出すより、堪えて胸に留める方がずっと辛いだろうに。
 この若さで、何が彼女をここまで頑なにさせているのだろうかとは痛ましく思った。
 関平はまだいい。男として、一武将として、義父である関羽の背中を見てその背中を追えばいい。
 星彩はそうもいかない。燕人・張飛の娘として、女としてまた一武将として、更には国母として生きなければならない。手本になる人も物も、彼女の傍にはないのだ。
 星彩は、そのことを誰よりも真摯に受け止め、激情を押し殺すことを覚えたのかもしれない。
「……何か」
 気がつけば黙り込んでおり、星彩がまた心配そうに見詰めていた。
「うん、いや、星彩殿は大変だなぁって。こんな若いのに、武将としての鍛錬とかあって忙しいだろうなって思って。凄いなぁと」
 が手放しに褒め上げると、星彩は頬にわずかに朱を帯びて俯き、そんな、と呟いたまま黙ってしまった。
 クールビューティーと評していた星彩だが、本当はそうではなく、年相応の可愛らしい女の子なのかもしれない。
 喜んだ顔とか嬉しそうに笑ってる顔とかが、見たいなぁ。
 が笑うと、星彩も微笑み返してくる。
 不思議な親近感があった。

 趙雲が手を伸ばしてくる。上体を預けるようにして趙雲の肩に掴まると、趙雲は上手く重心を取ってを揺らすことなく馬から降ろす。相当な力持ちでなければ出来ない技だと思った。
「子龍、介護とか得意そうだよね」
「……何の話だ」
 趙雲と話を始めたは、星彩の顔が一瞬曇ったのに気が付かずにいた。
 気が付いたのは、じっと星彩を見ていた関平だけだった。

 よくもこれだけ持ち込めたものだ。
 は少し呆れながら、目の前に並べられた料理や茶道具に目を見張った。
「少し早いかもしれないが、折角の心尽くしだ」
 戴こう、と趙雲が箸を取る。
 は足が悪いから、と刈り取った草を均してまとめ、布に包んだクッションのようなものに腰掛けている。星彩が準備してくれたのだ。
 その星彩は、の為に沸かしたてのお湯で茶を淹れている。慣れない手付きなのは、普段は侍女などがやっていることだからだろう。いちいち確認しているのは、一夜漬けで覚えてきたからかもしれない。
「どうぞ」
 おずおずと差し出される茶碗を、は恭しく頭を下げて押し頂いた。
 星彩は恐縮しているが、は更に恐縮している。武技の師匠である趙雲を差し置いてしまっているのだ。趙雲はそんなことには頓着しないと思うが、盗み見れば当の本人は薄笑みを浮かべて見守っている。不気味だった。
「……如何でしょうか」
 が口をつけると、待ちかねたように星彩が問いかけてくる。
 美味しい、と言うと、星彩の顔に笑みが浮かぶ。
 笑うと、本当に花が咲きほころぶような美しさだ。
 大喬が桜、小喬が桃とするなら、星彩は水仙の花のようなたおやかさである。
 美人好きのにはたまらない。
「星彩、私や関平にももらえないか」
 苦笑して口を挟んだ趙雲に、星彩は、あ、と小さく叫び慌てて支度に入る。気のせいか、に淹れてくれた時よりもだいぶ雑だ。
 尽くされている感じで何だかくすぐったいが、何故星彩に尽くされるのかとんと見当もつかない。
 しばらく食事を楽しみ、雑談で盛り上がる。
 それぞれ自慢の父の話になると、星彩も関平も止まらなくなった。特に関平の関羽への敬愛振りは度を越すようなところがあって、聞いているは可笑しくて仕方がなかった。
 それでも、何故武器を青龍刀にしなかったのかと問うと、関平は少し恥ずかしそうに俯いた。
「青龍刀では、決して父に及びますまいから」
 男の子だなぁ。
 関平の中にあるわずかな虚栄心は、にとっては好ましく、また頼もしいものに感じられた。
「これから、湯泉に行こうと思うのですが」
 話の限が良いと見たか、星彩がこの後の予定を切り出した。
殿、お湯に入っても大丈夫でしょうか」
「あ、大丈夫ですーって、湯泉なんかあるの?」
 驚いて聞き返すと、星彩は少し誇らしげに笑った。
「はい、傷によく効くという話で、近隣の者しか知らない隠し湯なのだそうです。屋敷で奉公している者の中に、ここの近くの出身の者がいて、教えてくれたのです」
 だから、是非連れて行きたいのだと星彩ははにかんで笑った。
 たまたまで手に入る情報ではあるまい。
 恐らく星彩は、の気分転換になる為に、それこそあちこちにリサーチをかけたに違いない。この冷淡な美女が、あちこちにいい場所はないかと聞いて回っていたのかと思うと、感動するよりまず何故そこまでするのかと疑問が湧く。
 不思議そうなに、星彩はますます恥ずかしそうに首をすくめた。
「……さて、腹も膨れたしそろそろ行くとするか。湯泉は、ここからもう少し離れたところらしいからな」
 趙雲の言葉に、関平は身軽く立ち上がり、片付けに入る。
 せめて皿や茶碗は片付けようかとが手を伸ばすと、星彩がさっと割り込んだ。
殿はおみ足がまだ良くないのですから、動いてはなりません。私が」
 せっせと片付け、近場の沢に歩いていく。
 星彩が立ち去る後姿を見送りながら、近くに来た関平に何かすることはないかと尋ねる。
 少し複雑な顔をして、関平は首を振った。
「星彩が、お休み下さいと言っていますから、どうか休んでいて下さい」
 しかし、それでは幾らなんでも手持ち無沙汰だ。
 今度は趙雲が歩いてきて、笑いながらに耳打ちをする。
「星彩は、お前が好きなのだそうだ。言うとおりにしてやるといい」
 は。
 どういう意味だと問い返すと、言葉の通りだと返された。
 好き、と一口に言っても、その感情は様々だろう。は首を傾げた。
 片付けが済み、星彩が戻ってきたのを潮に、四人はまた馬上の人となった。

 星彩がしょんぼりしているような気がして、何かあったかと問うと、星彩は困ったように笑み、茶碗の一つを割ってしまったことを告白した。
「大切なものだったの?」
「いえ……でも、こんなことも満足に出来ないのかと思って」
「じゃあ、気にしなくていいんじゃないかなぁ」
 私もよくやるよ、とが言うと、星彩が目を丸くした。
「家にいた時だけど、書簡読むのに夢中になり過ぎて、子龍がくれたとかいう茶碗、思いっきり薙ぎ倒しちゃってねぇ。木っ端微塵で、春花は泣きながら怒るし、修復なんかできないくらい粉々だし、未だに子龍には内緒だし。今は孟起の家だからいいけど、いつかは戻るだろうしそしたらばれるだろうし。何かいい言い訳考えようと思ってたのに、忘れてました」
 星彩殿、いい言い訳ないか一緒に考えて下さい、と言うと、星彩はいかにも困った、という表情を浮かべる。
「正直に申し上げた方が……良いのでは……」
「いや、それじゃつまらないから、何か面白い言い訳をしたいんですよ」
 面白い言い訳ですか、面白い言い訳です、と言葉を交わす。
 星彩が、くすっと声をたてて笑った。
殿は、いつもそんなことを考えておられるのですか」
「ん、まぁ大概そんなことを考えているんじゃないかと思います」
 面白い方ですねと言って、星彩はふふ、と笑う。
 そんな星彩の笑顔に、が満たされていることを、きっと星彩は気付いていない。
 は、星彩に併せて笑いながら、次は何の話をすれば笑ってくれるか、一生懸命考えていた。

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