本当に、誰が好きなんだかわからなくなってきた。
 趙雲のことが好きなのだと思っていた。
 でも、弟みたいだと思っていた馬超のことを、そうでない風に愛しいと思ってしまった。
 別れられると思った孫策は、決して自分をほっておかないし、擦り寄ってくる体温を無視できずにいる。
 時折送られてくる姜維の熱の篭った視線に、胸が騒がないことはない。
 好かれることに慣れていなかった分、好かれた時の対応にも慣れていないのだと知らしめられている。
 まして。
 ぽん、と趙雲と孫策の二人に組み敷かれた夜のことを思い出す。
 ぎゃあぁ。
 呻きたくなった。
 飛び飛びの記憶の中で、翻弄されつつも確実に行為に溺れていた自分を思い出す。
 どうせ飛んでしまっているなら、綺麗さっぱり忘れて全部なかったことにしてしまえればいいのに。
 あれは、どう考えても3Pだ。愛のある行為とは言い難いではないか。
 けれど、暴行だったとはどうしても言えない。言いたくない。
 に触れてくる二人の手は、これ以上はなく優しかった。愛されてると、思ってしまった。
 私、考え方おかしいのか? 甘い?
 淫乱淫乱と言い含められて、本当に淫乱になってしまっているのではないか。思い込みの激しさには自信がある。
 なくていいと思うところにばかり自信があるのが、我ながらどうしようもなかった。

 足の腫れがだいぶ納まった。
 医師は、満足そうに一つ頷き、新しい布を足首に巻き始めた。巻かれる布の厚みは、最初の時よりだいぶ薄くなっていた。
「湯で暖めてから、よく解されるようにな。最初はあまり力を入れず、撫で摩るように。次に来た時に様子が良ければ、幾らか歩き始めてもよいかもしれん」
 少し時間がかかったが、思ったよりは早かったと言って医師は満足そうに笑った。
「完全に治るまで、どれくらいかかりますか」
 呉に戻らなくてはならない。『すぐ戻って来い』と言われているし、向こうの言う『すぐ』がどのくらいのスパンなのかはわからないが、船での移動のことを考えるとあまりのんびりもしていられない気がする。
 の申し出に、医師はうぅん、と首を捻った。
「船というのは、意外に足を踏ん張るものじゃからな……完治しても、あまり無理をさせたくはないのう」
 医師が言うには、の体の作りはかなりもろいのだという。
 そりゃ、ワタクシ一般兵どころでないですから。体力バーも見えない民ですから。
 あのミッションはおかげで苦労したなぁ、とがいらんことを考えていると、医師はを見て穏やかに微笑んだ。
「まぁ、気晴らしも上手くいったようで何よりじゃ。真面目一筋もええが、たまには破目を外した方がええぞ」
 一筋から破目を外す?
 直結して3Pのことを思い出して、はまたもんどりうって倒れ伏した。
 医師ももう慣れたもので、かか、と笑って済ました。まさか察しをつけられているとは思わないが、何だかいやんな感じだった。
 医師が帰った後、馬岱の側仕えの男がやってきた。
「おみ足の具合は、だいぶよろしいようで」
「あ、お陰さまで。どうも有難うございます」
 は笑みを浮かべて礼を言う。が、男は何故か物言いたげに黙ってしまった。豪胆で名を馳せる馬岱自慢の側仕えの男にしては、珍しいといえた。
 何だろう、とは男を促す。
「……いえ、あの、さまは、おみ足が治られたらどのようになさるおつもりで……」
 あ、とは慌てて姿勢を正した。
「すいません、ずっとお世話になりっぱなしで。歩いてよくなったら、すぐにでも帰りますんで」
「そ、そうではありません、そんなことを申し上げたいのではなく……!」
 慌てて口を挟む家人に、はますますわからなくなる。
 男は申し訳なさそうに頭をかき、一礼すると失礼ながらと切り出した。
さまがいらしてから、馬超様のご機嫌が麗しく……その、家の中も大層明るくなっております。もし……もしさまさえそのおつもりがあれば……その、何時までも当家にお留まりいただけないかと」
 好意で言ってくれているのだろうが、の所在を許すも許さないもこの屋敷の主たる馬超次第だろう。馬超がを追い出しにかかるとも思えないが、如何に信頼されているとは言え家人が申し出るような事柄ではないのではないだろうか。
 それで言い出しにくかったのかな。
「でも、それは孟起次第だと思いますし」
「いえ、馬超様が嫌と仰られるとは思えませぬ。何せ馬超様はさまのことを大事に大事に思われておられますし……その、たまに乱暴なところもおありですが、決して悪気があるわけでなく」
「あ、わかってますよ、それは。後でちゃんと謝ってくれますし、私も気にしてませんし」
「それならよろしゅうございました。それに、馬超様はあの通り見栄えもよろしく、男振りにおいても他に引けを取るものでもなく……西涼の錦、五虎将軍としても名を馳せておられますし、殿の信任も近来富に増しておりまして」
 おや?
 会話に何処かずれたものを感じて、は首を傾げた。
「おはようございます、さまぁ! 遅くなって申し訳ありませ〜ん!」
 やけに馬鹿でかい声で春花が入ってきた。
 春花は、背中に背負った荷物をどっこいしょと降ろし、手に提げていた袋包みを側仕えの男に押し付ける。
「これはさまがお世話になっているほ〜んのお礼ですぅ、皆さんでお召し上がり下さい」
「……いや、私共は喜んでさまのお世話をさせていただいている者、このように礼などしていただくいわれは……」
「いぃえぇ、さまとて、いつもお世話になっていてばかりで大変心苦しいと、いつもこの春花に。
ねぇ、さま?」
 偽善ぽくにっこりと微笑まれて、は勢い頷く。
 側仕えの男はまだ何か言いたげにしていたが、春花が男を無視してに話しかけ始めたのを潮に、渋々と退室していった。
 男が出て行くと、春花は顔を顰めて扉を睨めつける。
 は苦笑した。
「どしたの、春花。あんな態度して、失礼でしょう」
「失礼なのはあの男です、今日ばかりは、さまが鈍くて本当に良かったですわ」
 きっときつく睨まれ、は何のことかと首を竦めた。心当たりがなくても後ろめたくなるのは、最早条件反射なのかもしれない。
「馬超様と結婚してくれと申し上げていたんですよ、あの男。家人の分際で、何て厚かましい」
 え、と一言漏らし、は絶句した。
「ほら、やっぱりおわかりになってなかったのではありませんか。こちらに長く居過ぎたせいで、家人達もつけ上がっているのでしょうね。こうなったら、早めにこちらを出なければ。おみ足の具合はどうだと医師様は仰っておられましたか」
 きびきびと買ってきた荷物を片付けながら、春花はなかば決め付けて段取りを組もうとする。
 は呆気に取られつつ、突然突きつけられたリアリティのある言葉に、苦いものを感じていた。

 夜になり、馬岱が室にやってきた。
「今、よろしいでしょうか?」
 食事は先に済ませて、後は寝るだけだった。断る理由もないので、どうぞと室に通す。
 馬岱が丁寧なのはいつものことだが、今宵は少し違和感を感じた。
 何だろうと考えていて、春花に『鈍い』と評されたことを思い出してしまった。
 むぅ。
 鈍いかなー、と意味もなく頬の辺りを撫でる。
 馬岱が何事かと伺っているのに気付き、慌てて椅子を勧めた。
 年柄年中誰かに運んでもらうわけにもいかないので、一人の時は杖をついている。移動はどうしても遅くなりがちだが、馬岱はゆっくりと歩調を合わせてくれる。押し付けがましくもなく、催促するでもない。こういう細かなところに、馬岱らしさが垣間見えた。
「あ、お茶とか……」
「あぁ、では私が」
 馬岱はさっと立ち上がって、茶道具の置かれた卓に向かう。これらも、が茶が好きだと気付いた(口にしたことはなかったから察したのだろう)馬岱が、が来てすぐに揃えさせたものだ。茶の入った筒や茶海、盆などが常備されていた。湯は、食事の後に保温用の七輪のようなものと一緒に届けられる。使った器は、この時下げられ、代わりの新しいものが補充されるのだ。
 が馬家から受ける細やかな気配りの一つだ。
 いつでも最上の気配りをしてくれる。だからこそ、逆に甘えてはならなかったのかもしれない。ここらで遠慮するべきだろう。
「家の者が、何か余計なことを申し上げたそうで」
 それまで黙って茶を淹れていた馬岱が、突然口を開いた。
 頭の中を覗かれたような気がして、は驚愕して馬岱の背中を見詰める。
 手に茶碗を二つ載せた馬岱が、にこにこと微笑んで振り返る。
 絶妙のタイミングで制されてしまい、は何も言えなくなってしまった。
「実は、殿にお願いがあって今宵は伺いました」
 馬岱はの前に茶を置くと、自分は対面に座した。
「はぁ……えと、何でしょうか」
「この屋敷に留まっていただくわけにはいかぬでしょうか」
 間髪いれず、ずばりと切り込んでくる。
 は即答できなかった。
 春花は、できるだけ早くを馬家から出させたがっているし、今日の家人との遣り取りで更に頑なになったようで、もういつでも帰れるように屋敷の準備をしておくと言って早めに帰っていった。
 いつまでもここにいられるわけでもないと思っていたし、だから春花を止めずにいたのだが、馬岱にこう言われてしまうと断りも入れにくい。
 どうしたものだろうと俯くと、馬岱が場の雰囲気を緩めるように笑みを作った。
「もちろん、呉に向かわねばならぬのも存じておりますし、それまでという話です。それに、殿の屋敷には家人がほとんど居ない。警備の者を手配するにしても、今すぐにとは参りませんでしょう。丞相や姜維殿の配下を回すとて、それはそれで手間も金もかかる。違いますか?」
 恐らく諸葛亮を説得したのと同じ手でを丸め込もうとしている。
 諸葛亮が了承したのは、馬岱の言っていることが正しいからに他ならない。これからずっと蜀に居るなら家人を雇えば済む話だが、の足が治るまでという見通しのきかない期間の間だけ兵を回すとなれば、却って手間も暇もかかるに違いない。
 しかし、はそれでも馬岱の申し出を受け入れられずにいた。
「……警備の人って、やっぱいるもんですかね……?」
 根本に立ち返れば、そもそもの為に警備がいるのかというところまで話が戻る。
 馬岱は苦笑いすると、茶を啜った。
「普通は必要なものかと思いますが、特に殿には。まぁ、ご考慮いただければと思います……できれば、前向きに」
 はぁ、と曖昧に返し、も茶を啜る。
「でもまた、何で。私が居たところで、家の方の仕事が増えるだけで何にもメリット……えぇと、いいことがないように思いますが」
「……家人からお聞きになりませんでしたか? 貴女が居られると、従兄上の機嫌が良くなります。仕事もちゃんとしますし、気持ちが貴女に向いておられるものですから些細なことにも目くじら立てなくなります」
 馬超のことばかりのような気がする。
「この屋敷では主である従兄上が絶対なのですよ。ですから、従兄上が良い状態にあるのは家人にとっても喜ばしいことでして。他の屋敷とて大同小異、何ら変わりはないかと思われますが」
 馬岱はそう言うが、この屋敷で権力を一手に握っているのは他ならぬ馬岱だと思う。その馬岱が馬超に忠誠を尽くしているからこそ『馬超絶対主義』が維持されているのであって、例えば趙雲の屋敷などは少し違っていた気がする。
「……あんな躾のなっていない家人と、当家の家人を一緒になさらないでいただけますか」
 心底嫌そうに顔を顰めるので、はつい笑ってしまった。
「笑い事ではありませんよ。趙将軍という方は、それはうちの従兄上よりよほど人格者だとは思いますが、どこか抜けているというか、細事に詰めが甘くていらっしゃる。適材適所と申しますし、やはりあの方は優れた武将であっても優れた家長ではないのですね。戦場ではあれほど細やかに心配りなさるというのに、家の方には万事目が行き届かない。ご本人は気になさらない性質なのでしょう、悠然とされておられるというか雑だと言うべきか」
 誉めてるのか貶しているのかわからない。
 どちらにせよ、あの趙雲を『抜けている』と言い切るのは、中原広しと言えども馬岱くらいではないか。とて、そこまで言ったことはない。と思う。
 馬岱が、ではそろそろと室を辞すのを見送りに、扉まで付き添う。
 結構ですよ、と馬岱は言ったが、杖さえついて気をつけていればと医師に許しも得ている。何より、いい加減歩き方を忘れてしまいそうだ。
 ひょこひょこと不器用についてくるに、馬岱が悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 不意に抱き寄せられ、腕の中に納められてしまう。
 一瞬何が起きたかわからず、はただ目をぱちくりとさせていた。
 どれくらいの間か、フリーズしてしまったには見当もつかなかったが、結構長い間だったような気がする。
 馬岱が身を離し、倒れた杖を拾い上げの手に握らせた。
 気のせいか、少し困ったような顔をしている。
「ね、必要でしょう?」
 そのまま馬岱は扉の向こうに消えた。
 何がだ。
 はそのまま、馬超が『夜のお勤め』に出向いてくるまで扉の前で固まっており、何も知らずにやってきた馬超を非常に驚かせた。

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