気を失うように眠りに就いたを、馬超は気まずげに見詰めていた。
 乱れた髪を取り繕うに梳いて直してやるのだが、汗でしっとりと濡れた髪は指に絡みつくようで、一筋一筋の細い糸のような感触に罪悪感を覚える。
 一人で抱く時には無我夢中で掻き抱く体も、孫策と二人で抱くことで何処かしらに見栄に似た余裕が生まれ、それがの反応を逐一冷静に観察するゆとりに直結した。
 いつもよりもずっと長い間睦みあっていたように感じるし、恐らくそうだったのだろう。外はまだ闇の帳に包まれていたが、何とはなしに明るくなってきたように思うからだ。
 一晩中、しかも二人掛かりで一瞬の休息も与えることなく責めていたことになる。
 の表情にも深い疲労が見えるようだ。はらりと落ちる髪が汗で張り付くと、尚更酷く疲労しているように見えた。
 それが嫌で、馬超は落ちる髪をすくっては梳き、梳いてはすくうのを繰り返している。
 逆に、孫策はただ愛しげにを見詰めていた。先程まで、たどたどしい手つきながら熱心にの体を清めていたのだが、綺麗になったと満足したのか、濡れた手巾を手にしたまま、胡坐をかいての横に居る。
 寝そべっていた馬超はおもむろに起き上がると、身支度を始めた。
「何だよ、帰んのか」
 孫策の口調には不満の色が色濃い。
 今、馬超に帰られるということは、の説教を一人で引き受けなくてはならない。前例があるだけに相当厄介なのは簡単に予想が着く。
 馬超はややうんざりとしたように孫策を振り返った。
「俺とて、これから岱の説教が待ち受けている」
 孫策は、げ、と呟くと打って変わって同情したような目を馬超に向けた。
 どんな説教か予測がついたのだろう。馬超も馬岱の説教を想像して、うんざりした顔を隠せずに居た。
「……運良く早く解放されて、執務に余裕があれば顔を出そう。ここでいいのか」
 そうだな、と孫策は少し考えた。
 の侍女である春花は休んでいるそうだし、今日も登城するかどうかわからない。が、逆に登城するかもしれないと言うことで、もしが室に居なければ心配するだろう。
 かと言って孫策が居合わせれば、勘のいい春花のことだから大目玉を食らうに違いない。そこらの儒学者よりもよっぽど口うるさいのだ。
「……どーすっかなぁ……」
 考えた挙句、の室に『は孫策の室に居る』という置手紙を託すことにした。春花も、さすがに孫策の室に押しかけるような愚行はできないだろう。仮にも孫策は同盟国の跡継ぎだ。後は、眠りから覚めたを室の前まで送ってやれば問題ない。
 頼まれた馬超も、春花の怒りの凄まじさは肝に銘じてあったので快く引き受けた。
 竹簡を手に扉を開けようとすると、孫策が後ろから小走りに駆け寄ってきた。
「……には、絶対ぇ内緒だかんな」
「何を今更」
 くどい、と苦笑し、馬超はふと口を噤んだ。
 孫策が不可思議に思って見ていると、馬超は振り返りもせずに呟いた。
「……俺はしばらく、と会わぬ方がいいかもしれん」
「喋っちまいそうだから、か?」
 馬超は静かに頷いた。苦悩の色が見える。
 孫策は、からからと笑った。
「お前達にとっちゃ、嬉しくてしかたねぇんじゃねぇのか。俺だったら、素直に喜ぶぜ」
 そうだろうか、と馬超は呟いた。
 そうだろ、と孫策が畳み込む。
 まるで、そうでなくてはいけないと決め付けるような言い方だった。
「その代わり、お前ら本気で守れよ。劉備に話は通してあるけどよ、それでも何がどう転ぶかわかんねぇからな」
 馬超は重々しく頷く。
「この命に代えても」
 孫策の顔がふっと緩む。
「そっか」
 扉を押し開き、馬超はを振り向いた。まだ寝ているらしい、裸の肩が静かに揺れている。
「……馬岱の説教、頑張って耐えろよ」
「それを言うな」
 甘い感傷から現実に引き戻され、馬超は孫策を厳めしく睨みつけ、すぐに頬を緩めて笑った。
「……後でな」
「ああ、また後でな」
 馬超を送り出し、孫策は一眠りするかとの隣に滑り込んだ。
 責められたの疲労も激しかったが、責め抜いた孫策の疲労もなかなかに激しい。
 の体をしっかりと抱きこみ、眠りに就こうとした孫策は、ふと気配に気付いて目を開けた。
 眠っているとばかり思っていたが、ぱっちりと目を開けて孫策を見詰めている。真剣な眼差しに、一瞬心臓が跳ね上がった。
「……私に内緒って、何?」
「起きてたのか? 言えよ、お前もたいがい人が悪ぃな」
 誤魔化さないで、とは孫策のやや早口の言葉を押し留めた。
「私に内緒にしなきゃいけないことって、何?」
「……だってよ……言ったらお前、怒るだろ」
「黙ってたらもっと怒るよ」
 お互い寝そべったまま、顔は吐息が触れるほど近い。
 孫策の回した腕が、朝の冷気で冷やされた皮膚には熱いほどだ。
「言って」
 懇願するように、一音一音に力を篭める。
 孫策の顔が、苦笑に歪んだ。
「じゃあ、言うけどよ」
「うん」
「お前、一日何回なら平気?」
 沈黙が落ちた。
 の顔から一瞬毒気が抜け落ち、幼い顔つきになる。それを見た瞬間、孫策は顔をくしゃっと緩め、さも嬉しそうにを抱き込んだ。
「あー、もーすっげぇ可愛いな、お前ー!」
 の肘が孫策の顎を突き上げる。近距離なので威力はまったくないが、それでも尖った肘の骨は孫策の顎の柔らかな部分をえぐり、痛みを与える。
 痛ぇとうめく孫策に、はふん、と背中を向けた。

「……玄徳様に話通してあるくらい、重要な話なんでしょ……何で、隠すのよ」
 背中を向けたままのの声は、憤りと言うよりは悲しみに満ちた声に近かった。
 孫策は、頬杖を突いての背中を見詰める。
「だってよ、お前絶対ぇ怒るもん」
「それでも、言ってくれなきゃわかんないじゃん」
「じゃ、絶対ぇ怒んないって言え」
「やだ」
 話が進まない。
 孫策は呆れたように引っくり返ると、に背を向けた。
 すぐに寝息が聞こえてきて、慌てたのはの方だった。まさか、眠ってしまうとは思わなかった。
 慌てて孫策の背にしがみつくが、孫策からの反応はない。
「ちょ、伯符……」
「怒んないって、約束するか?」
 くるりと振り返った孫策の顔が、にっと笑った。
 一瞬怒鳴りつけようとしただったが、あまりに邪気のない笑みに毒気を抜かれてしまい何も言えなくなってしまった。
「……わかった、怒んないって約束する」
 渋々と約束をすると、孫策が子犬のように擦り寄ってくる。
 暑苦しいと邪険に扱うのだが、孫策はまったく気にしない。
「お前をな、どっちが抱くかっていう話」
「……は?」
 予想外の言葉に、身構えていたは思わずこけそうになる。
「馬超にな、呉に行くまではお前を独り占めしていいって約束したんだけどよ。俺もやっぱ、ここで暇で体力持て余してるし、さすがにそんなら娼館にちっと遊びにってワケにもいかねぇだろ? だからよ、馬超と話して、お前を貸してもらえねーかなーって」
「ちょ、だ、だって孟起が『理由を教えろ』って、アレは……」
「お前、何、欲求不満で溜まってるから貸してくれって言って、はいどうぞって差し出してくれるとでも思うのか? 馬超だぜ?」
 あまりにもくだらない話に、はぐらかされているのではないかと焦るのだが、焦るから余計に考えがまとまらない。何とか孫策の話に『穴』を見つけようと思うのだが、ままならなかった。
「だって、じゃあ絶対言うなって……」
「代わりばんこにならいいってことになったんだよ。でも、お前そんなこと決めたっつったら怒り狂うだろうが」
 無論だ。
「玄徳様に話通したって……」
「夜中に俺がうろうろしてても、の室に潜り込んでもいいってことになったんだよ。お前、何で未だにお前の室に護衛兵がいねぇのか、わかってねぇだろ」
 そう言えば、姜維が早急に手筈するからとか言っていた割に、の室には未だに護衛兵が着かない。
「え、待って待って、だって、本気で守れとか、おかしくない?」
「お前が今孕んだら、それ誰の子だって言うつもりだよ」
 あ、と一声上げて、は口を噤んだ。
 馬超から、が生むのなら自分の子だと言われていたことを鮮明に思い出した。
 その言葉は嬉しかったが、そんな単純なことではないことぐらいはにもわかっていた。
「仮にだぜ、馬超の子だってことになったら、お前俺のことどうするつもりだよ。子龍だってよ、黙ってねぇだろ。子供には父親が必要だ、なんつって口出してくる奴なんざごまんと居るだろうよ。でもよ、じゃあ父親は居ませんってことになったら、それはそれで一騒動だろ」
 それはその通りだ。
 ぐうの音も出ず、は黙り込んだ。
 だが、それならだいたいしなければいいだけではないか。
「馬鹿、しないで我慢できんだったら世話ねぇんだよ」
 孫策は苦笑いし、の額に自分の額をぐりぐりと押し付けた。
「わかれ、そんぐらい」
 俺達なら別にいい、俺達だけだったらな。
 孫策はそう呟いて、の鼻に口付けを落とすと、夜着を拾って自分とを包み直した。
「寒くねぇか? 大丈夫か?」
 現代人のには、掛け布団のない寝具など考えられない。けれど、ここでは薄い上掛けはあっても綿を詰め込んだ布団と言うものは存在しないらしい。
 が寝る時は夏でもしっかり上掛けを被って寝るのを、孫策は呉で見ている。だから、気遣ったのだろう。
 肌が直接触れ合う。十分に暖かかった。
 何となく納得はし難かったが、眠気が強くまともに思考できそうにない。怒りの感情すら沸いてこないほど、くたびれていた。
 後で、起きたら。
 は、意識を手放した……手放そうとした。
 突然ズカズカと入り込む足音に、まず孫策が飛び起きた。夜着をに被せ、背中に庇うと寝台に立てかけてあった覇王を手に取る。
 片膝を立て、不埒な侵入者が姿を現すのを待ち受けた。
「……あ?」
 隣の室から姿を現したのは、他でもない星彩だった。
 星彩は、孫策を一瞥するとその背後に隠れたを見出し、唇を綻ばせた。
「お姉さま!」
 孫策を突き飛ばさん勢いで駆け寄ると、に孫策の夜着を着付けてしまう。あまりの素早さに、孫策もも言葉がない。
「……では、お姉さまは連れて帰らせていただきますから」
 孫策を見遣る目は、常に在る冷静かつ冷ややかなものだった。ところが、を振り返ると穏やかな春のような眼差しにころりと変わる。横抱きに抱え上げられ、が驚き声を上げたが、星彩は気にした風もない。
「お姉さま、室に戻って朝餉をいただきましょう。その前に、湯を用意させます」
 それきり孫策には振り向きもせず出て行ってしまう。
 仮にも同盟国の跡継ぎに対する所作とも思えない。
 孫策は裸のまま、呆然として星彩の後姿を見送るしかなかった。
「……な、何か納得いかねぇな……」
 どすんと腰を下ろして胡坐をかき、孫策は鼻白む。眠気も飛んでしまい、どうしたものかと頭をかいた。
 牀にはまだ、の温もりが残されていた。

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