は諸葛亮の室に向かっていた。
 孫策は説得できたが、次に説得しなければならないのは恐らく主たる劉備だ。尚香に『は呉にはやらぬ』と言い切ったそうだから、妻への面子もあって説得するのは難しそうだと踏んでいる。
 諸葛亮に知恵を借りに行くところなのだった。
 廊下の角でばったり黄忠と出くわした。
 元気すぎるほど元気なこの老人は、のことを割合可愛がってくれている。も、若いおじいちゃんという感じで黄忠に懐いていた。
「よぉ、久し振りじゃなぁ!」
「はい、お久し振りです黄忠殿」
 世間話に花が咲き、途中で黄忠が何かを思い出したかのように『そうそう』と切り出してきた。
「……は、儂のような老人を相手にするのは、そのぅ、気詰まりではないか?」
「は? ……いえ、黄忠殿はお若いですし、別に気詰まりを感じたことはありませんが」
 何の話だと思いつつ正直に答えると、黄忠は満面の笑みを浮かべた。
「そうか、そうか! そんなら儂も一つ、参加してみるかのう!」
 参加と聞いて、の疑問はますます深まる。
 何に参加して、それがどうに関わるのか。
殿!」
 背後から息急き切って走りこんでくるのは姜維だった。
「あ、こ、これは黄忠殿」
 黄忠の姿を見て慌てて拱手の礼を取る姜維に、黄忠はご機嫌で返礼する。
「お主も参加するのか、姜維?」
「お、お主も!? 黄忠殿、まさかご参加なさるおつもりでは……」
 姜維は何のことか心当たりがあるらしい。それはいいが、黄忠が参加すると聞いて顔が真っ青になっている。
 何なんだ。
 は黄忠と姜維の顔を見比べるより他にできることがない。
「何じゃ、つもりもつもり、今、殿にも確認を取り、やる気を新たにしたところよ。まぁ、お主のような若造にはなかなか負けてやらぬ故、覚悟して掛かってくることじゃなぁ」
 わっはっは、と高笑いして立ち去っていってしまった。
 顔面蒼白の姜維に、が状況説明を求めると、姜維にしては珍しくきつくを睨め付けた。
「黄忠殿に、何を仰ったのですか殿!」
「へ? いや、何か老人の相手は気詰まりじゃないかとか言うから、そんなことないですよって答えただけだけど?」
 あぁ、もうと姜維は頭を抑えて呻いた。
 事情がさっぱり飲み込めないの手を引き、姜維は廊下を駆け出した。
「ちょ、姜維!?」
「おみ足は完治なさっているのでしょう!?」
 それはそうだが、大事にしろとも言われているし、そもそも事情の説明もないまま引っ張っていかずとも良いではないかと思うのだ。
 姜維の不機嫌極まりない顔に向かっては言えなかったが。

 は姜維の執務室に連れてこられた。
 姜維が室内に居た文官に声を掛けると、文官は一礼して去っていった。去り際、の方をちらりと見遣って、如何にも気の毒そうに眉を顰めたのが気になった。
「……えーと、どういうこと? 私、諸葛亮様のとこに行くつもりだったんだけど……」
「今行かれたら、騒ぎに巻き込まれますよ」
 騒ぎとは、何だ。
「それを今からご説明いたしますから……あぁ、しかし、何処から話していいのやら……」
 姜維は頭を抱えたままだ。
 よほど面倒な話なのかと首を傾げていると、そこに趙雲が訪れた。
「姜維、を知らぬだろうか」
 返答を待つまでもなくそこに立ち尽くすを見て、趙雲は一瞬見開いた目を険しく細めた。
 何事だと思う間もなく、趙雲はの元に大股で近付いてくると、そのこめかみを拳でぐりぐりした。うめぼしという奴だ。
「あいだだ、な、何、何すんの子龍!」
「それはこちらが問いたい。まったくお前は、今度はいったい何をしでかしたのだ」
 問われても、には何のことだかさっぱりわからない。大袈裟にしてないで、さっさと教えてくれないかと思う。
「……ちっとも大袈裟ではないのですよ……でも、どこから教えて差し上げればいいのか」
「無駄な前置きなど要らぬ、さっさと話してやればいい」
 趙雲が冷たく切り捨てると、姜維はの心の準備がどうこう言い始めた。趙雲は態度も改めない。
 年下だからと言ってこうも露骨に憤慨を滲ませる人柄でもないから、趙雲は趙雲でよほど激昂しているのだろう。
 けれど、何のことだか見当も着かないにはフォローの入れようもない。
 困ったように趙雲を見ていた姜維も、埒が明かぬと踏んでかに向き直った。
「いいですか、驚かずに聞いて下さいね」
 こくり、と頷く。驚かずにと言われても、何のことか想像もできないでは確約しかねたが、頷かねば話も進まないだろう。
「今度、武道大会が開かれることになりました」
 この時期に武道大会。
 ぴんとはこないが、遅い収穫祭の演出か何かだろうか。
 姜維の話は続く。
「この大会には、腕に覚えのある者ならば誰でも参加できるそうです……その、先程伺ったように黄忠殿もご参加なさるということで、規模がどんどん大きくなってきていて……もう、私や丞相でも今更止めることが出来なくなってしまっているのですよ」
 黄忠の名を聞いて、趙雲の顔に嫌悪が浮かぶ。
 仲は悪くなかったはずだが、年甲斐もないと苦々しく感じられたのだろうか。
「あの……無論、私も参加いたしますし」
「私も参加する」
 姜維の言葉に趙雲が被せてくる。
「馬超も参加するだろうし、そうなれば他の将も参加してくる可能性が高い。蜀将同士で手合わせできる機会など、あまりないからな」
 武に生きる者ならば、より高みに在る存在を打ち倒したくなって当然だ。
 しかし、姜維に趙雲に馬超が参加となれば、当然お祭り好きの孫策も参加させろとごねるだろうし、これは相当にぎやかになりそうだ。
 で。
「……私は何処に関係してくるの?」
 の疑問に、姜維はあっと驚いたように口を押さえ、趙雲は仏頂面でを睨めつけた。
「も、申し訳ありません、肝心要の事柄を」
「……いっそ、このまま内密に事を進めてはどうだ。当日になって真相を知れば、大騒ぎになって却って良いかもしれぬ」
 何だかよくわからないが、趙雲が機嫌が悪いのも姜維がわたついているのも自分が原因なのだということは確実だ。謝れというなら謝りもするが、どうして謝らなければならないのかを先に教えて欲しい。
 姜維は深々と溜息を吐くと、の手をがっしりとった。
「あの、武道大会が開かれる、このことはおわかりいただけましたね?」
 こくりと頷く。
 華々しくて良いではないか。
「それでですね、その、優勝者の賞品と言うのがですね。貴女なのです」
「アナタ」
 鸚鵡返しに返すが、頭の中にはちっとも入ってこない。
 趙雲が溜息を吐いた。
 姜維は焦ったようにの手を引っ張り揺らす。
「あの、おわかりいただけますか? 優勝者には、漏れなく貴女が贈られることになっているのです。だから、私も参加せざるを得なくて……本当は、大会そのものを取り止めたかったのですが、話が広がり過ぎて、しかも殿が乗り気とあって……あの、殿、聞いておられますか?」
「き、聞いてる、けど、理解できないんだけど」
 貴女を贈る、ということはが賞品と言うことだ。が賞品ということは、が贈られるということだ。
 延々とループする思考にはまってしまって、抜け出すことができなくなってしまった。
 困惑して挙動不審なに、趙雲が見切りをつけたのか突然を引き寄せた。両の手での顔をがっちり固定して、目を覗き込むようにする。
「お前が優勝者の嫁になるということだ」
「よめぇ!?」
 間近にある趙雲の美麗な顔にたじろぐ余裕もない。
「な、な、な、何で!」
「それを知りたいと言っているのだ。心当たりは本当にないのか」
「な、ないよ、あるわけないよそんなの!」
 呉に行きたいと言った覚えはあっても、嫁に行きたいと言った覚えはない。嫁だろうが婿だろうが……。
「あ」
 脳の記憶媒体に微かにスイッチが入る音がした。
――婿、取ル。
 魏延は、確かそんなことを言ってなかっただろうか。
「……心当たりが、あるようだな」
「うっ、いや、でも、そんな馬鹿な……!」
 昨日の今日だ。幾らなんでも、早過ぎはしないだろうか。
「きょっ、姜維、あの、大会の主催者って誰?」
「一応、ホウ統殿と伺ってますが」
 魏延ではないのか。
 ほっとしたのも束の間、魏延とホウ統の仲が良かったことを思い出した。
 ホウ統ならば諸葛亮に暗に対抗するのも苦ではないし、即座に手を回して邪魔をさせないだけの技量も持ち合わせていよう。
 そして、隠遁者の如きホウ統がそんな電光石火の手管を披露するということは、恐らく自分のためでない可能性が高い。
 やはり魏延が後ろにいるのか。
「ちょっ……と、待ってて。確認してくるから」
、」
「お願い、待ってて!!」
 趙雲が諌める間もなく、は姜維の室を後にした。

 魏延の室に飛び込むが、中には誰もいなかった。
 城中を駆けずり回ったのだが、魏延の姿を見出すことはできなかった。ここが最後の心当たりだったのだ。
「…………」
 野外に練兵にでも出てしまったのかもしれない。
 となれば、夕刻まで、下手すると明日以降も帰ってこない可能性もある。
 肩を落として引き返そうとすると、そこにホウ統が現れた。
「やぁ、来てたのかい。……魏延殿は、居ないようだねぇ」
 退室しようとに背を向けるホウ統の前に、は回り込んでその進路を塞いだ。
「……武道大会のことかい?」
 が頷くと、ホウ統はにっこりと笑った。
「まぁ、お前さんには悪いことしたかもしれないがね。魏延殿が、お前さんに相応しい立派な婿を探してやりたいって、あんまり熱心なもんだから、つい、ね」
 つい、で景品にされてはたまらないのだが。
 顔に不満が現れていたのか、ホウ統はおかしそうにくすくすと笑った。
「お前さんの取り巻きも参加するんだから、別に心配はないと思うねぇ……ま、そうさね。あっしも、ちぃっとばかりズルいことを考えたしね、お前さんが腹をたてても、そいつぁしかたないってもんだ」
 ホウ統は、を手招いた。
 が眉を顰めつつもホウ統の口元に耳を寄せると、ホウ統は内緒だよ、と前置きして囁いた。
「あっしは、お前さんが魏延殿の嫁さんになってくれないかと思っていたもんでね」
 魏延は、あまりにも報われすぎない。可哀想だ、と常日頃から思っていた、とホウ統は続ける。
「……憎まれ役なら憎まれ役らしく、高嶺の花の一輪落とすくらいのいいことがあってもいいだろ? 確実にやっかみを受けるわけだし、ねぇ」
 高嶺の花とやらに心当たりはないが、魏延にいいことがあっても云々には賛成だった。
 ホウ統は策を弄し、魏延を説得して大会に参加させることを了承させた。魏延が優勝できるかどうかはわからない。けれど、機会を与えられるのとそうでないのとでは月とスッポンだ。
「まぁさ、あんたももし、魏延殿がイヤでなければちぃっとばかし目を瞑っちゃくれないかね」
 少しだけでいい、楽しい夢を見させてやっておくれよ。
 その言い方は卑怯だろう。
 とて、魏延に同情もしているし好意も寄せている。だが、それとこれとではまったく話が違う。別次元だ。
「でも、……」
「まあまあ、……」
「だって、……」
「要はさ、……」
「それは、……」
「こういうことさね、……」
 結局、は大して言い返すことも出来ずに賞品になることを了承させられてしまった。鳳雛は伊達に臥龍と並び称されるわけではなかったのだ。

 帰り道、ふと魏延が居なかったのはホウ統の策略だったかもしれないと気が付いた。
 口下手な魏延ならば、にあっさりと説き伏せられよう。ホウ統がそのままにしておくとは考えにくかった。
 魏延の室にタイミング良くホウ統が現れたこと自体、臭い。
 しかし、既に時遅しだ。
 が姜維の室に帰った時、新たに増えていた馬超の口から『も喜んで嫁に行くと言っている』という触れが出回っていることを聞いた姜維と趙雲は、遺憾なく白い目をに向けた。
 勝手にしやがれ。
 は、遂に投げ出した。

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