まったく、馬鹿馬鹿しいことになった。
 趙雲も馬超も姜維も同じように考えていただろうが、は自分が一番馬鹿馬鹿しいと思っているに違いないと確信していた。
 確かに、姜維から『規模が大きくなって』いるとは聞いていたが、まさか予選が開かれるほど大きな規模になっているとは知らなかった。
 面白半分なのかもしれないが、大会参戦者の数がなんと百を越えた。あまりの盛況ぶりに登録期限を急遽切り上げたら、受付に人が殺到し将棋倒しになるという騒ぎまでおまけについた。
 あほくさ。
 最初の内こそうろたえ頬を赤くしていただったが、登録者の中に関羽や張飛の名前を見出すに当たり、自分は単なるダシに過ぎず、皆が皆腕試しに集まっただけなのだと知らしめられた。
 馬岱などは『そんなことありませんよ』と慰めてくれたが、ちゃっかり登録を済ませていたのを後で知った。
 好きな相手が居るらしいのにしゃあしゃあと馬鹿騒ぎに参加しやがって、とは非常に不機嫌だ。
 中には、本当にを得たいと望んでくれている人もいる。
 男ではなかったが。
 尚香は、『を自分の側仕えにするのだ』と言って鍛錬に励んでいるそうだ。
 また、星彩は『お姉さまは私が守ります』と言ってやはり鍛錬に励んでいるそうだ。
 どちらにせよ、もし優勝なぞした暁には開口一番『呉には行かせない』と言い出しそうで怖い。
 ようやっと呉行きに向けて整理が着きそうだったのに、運命の女神は悪戯好きだ。
 ホウ統曰くの『取り巻き』など、尚更当てにはならない。
 馬超や姜維は元々の呉行きには反対していたし、趙雲など何を考えているかさっぱりわからない。
 ここは一つ、孫策を頼るしかないかと出向いたのだが、やはりろくなものではなかった。
 早々に大会参加の手続きを済ませたと胸を張り、『幸せにするからな!』と力強く宣言されて頼みごとする気も消え失せた。
 真面目な国というイメージが強かったが、お祭り好きと言うことでは蜀も呉に引けを取らないようだ。娯楽が少ない故かもしれない。
 と言うわけで、は現在他の者とは真逆の仏頂面を晒して歩いていた。
殿」
 声がけられ振り返ると、そこに関平が立っていた。と同じように仏頂面をしている。
「この度は、その……何と言うか、大変な騒ぎになって」
 少なくとも関平はこの馬鹿騒ぎを苦々しく思っているらしい。
 だが。
「……関平殿、鍛錬はよろしいんですか」
 関平もまた大会に参加しているのをは知っている。見たくもない選手一覧を、ホウ統がわざわざ書き写して持って来てくれたのだ。
 一応目を通した限り、蜀の主だった将の内、君主の劉備、大会主催者のホウ統、諸葛亮、遠征中の月英を除いた全員が参加していた。
「ご存知でしたか」
 面目ない、と関平は頭を下げた。
 何でも、関羽が良い機会だからと勝手に登録してしまったらしい。
 親子で決勝の舞台で見えたいものだと言われ、断れなかったという。
 関平にとってみれば関羽の命令は絶対だろうから、も苦情を申し立てるわけにいかなくなった。
「……ま、アレです。ガンバッテ」
 投槍に手をひらひらとなびかせると、関平は困ったように目を伏せた。
殿がお困りなのはわかります。必ず、と申し上げることは出来ませんが、拙者も出来うる限り努力し優勝を目指します。その暁には、殿を自由にして差し上げますから、どうかご容赦下さい」
 ぺこりと腰を折って頭を下げる関平の生真面目さに、は嫌味を言ってしまった自分を恥じた。
 頭を上げさせると、自分の非礼を謝罪する。
 関平は気にした様子もなく、にっこり笑って返した。
「いえ、殿がお嫌になるのも無理からぬことと存じます。どうかお気になさらずに」
 好青年だ。
「……うん、あの、どうもありがとう。こうなったら関平殿を応援しますから、頑張って下さい!」
 先程とは打って変わった力強い言葉に、関平は少し困惑したように微笑んだ。

 諸葛亮のところに出向くと、劉備が来ているところだった。
「おお、、ちょうど良いところに!」
 おお、これはちょうど悪いところに出くわしてしまった。
 は微妙な笑みを浮かべて立ち止まるのだが、劉備は気付かないようで、の手を掴んでぐいぐいと諸葛亮の前に引っ張っていく。
「何とか言ってやってくれ、どうしても私が出るのはならぬと言うのだ」
「当たり前です。殿御自ら参加となれば、他の参加者も気兼ねして本気で打ち込めなどしないでしょう」
「そんな腰抜けでどうするのだ! 仮にも武を目指す者として……」
 劉備はしつこく言い募るが、諸葛亮は淡々と聞き流しているのがよくわかる。
 これだけの大声を眉根一つ動かさず聞き流せるのは、なかなかどうして大したものである。
「……孔明!」
「駄目です」
 散々喚くだけ喚かせておいて、言い切ったなと見るや駄目出しをして止めを刺す。いったいどこでこんな手管を覚えたのかと舌を巻きたくなる。
 むっとした劉備がを振り返るが、劉備で駄目なものがに押し通せるはずがない。
 無言でふるふると首を振ると、劉備は駄々っ子のように口をへの字に曲げた。
 立ち尽くしたままで出て行こうともしないので、もどうしたものかと頭を悩ませる。
 恐らく、尚香と約定してしまった責任を感じての参戦希望なのだろうが、君主たる劉備が怪我でもしたら大騒ぎになるのはまず間違いない。怪我を負わせた相手もただでは済むまいから、諸葛亮の判断はごくまともなものと言えた。
 この場合、劉備が我慢するべきだろう。
「……殿、執務が滞っておられましょう」
 諸葛亮が断罪するような重々しさで指摘すると、劉備は顔を赤くして出て行ってしまった。
「あの」
「放っておけば良いのです、あの方も、ご自分のわがままは承知の上で騒いでおられたのでしょうから」
 ほっとけと言われて本当にほっといていいとも思えない。
 諸葛亮に一礼して、劉備の後を追うことにした。

 長い廊下の左右を見渡すと、劉備が角を曲がっていくのが見えた。
 劉備の執務室とは逆の方向だ。
 やっぱり、と慌てて追いかけると、また角を曲がっていくのが見えた。
 追いかける、曲がる、追いかける、曲がるを繰り返し、暗くて狭い廊下を突き抜けると突然明るい場所に出た。
 美しく整えられた小さな庭園は壁に仕切られ、上を見上げれば空が四角く切り取られて見えた。
か」
 声のする方に目を向ければ、劉備が微笑んで立っていた。
 笑ってる場合じゃないだろう、と劉備の傍らに向かうと、そこにはたくさんの菊の花が咲き誇っていた。
 目で劉備に伺いを立てる。
「菊だよ。もう盛りを過ぎるが、まだまだ美しいだろう」
 薬草を育てている庭なのだという。いつもは施錠して、不埒な部外者が入り込まないようにしているのだそうだ。
「ここまで大きく花がつくものは、野では見つからないだろう。盗まれでもしたら、大損なのだ」
 真面目腐って『大損』などと言うものだから、はついくすくすと笑ってしまった。劉備の口から金勘定の類の言葉が出るのは、酷く不釣合いな気がした。
「何を笑う、本当に高価なものなのだぞ」
 だから、もここに閉じ込めてしまおうか。
 自分の名前が出され、ふと目を上げた先で劉備が笑っている。
 けれど、その目が笑っていないことにすぐに気がついてしまった。
「お前はわかっていないようだが、君主自らが人を望むというのは大変なことなのだ。私が孔明を望んだように、国を賭けてその人を欲することだとてある……孫堅殿が果たしてお前の何をお望みなのかはわからぬが……」
 心配そうにを見詰める劉備に、は応えられずに俯いた。
 尚香大事で騒いでいるのかと思ったのだが、それも僻みからだったのかもしれない。
 劉備は劉備なりに、の身を案じてくれていた。
「……私は、そんな大それた者ではないですけど……でも、私は私なりに一生懸命やりますから……」
 けれど、口から出たのはそんないじましい言葉だった。
 所詮は小物なのだ。小物は小物なりに役立ちたい。それには、蜀に居ては駄目なのだ。
「そうか」
 劉備はそれきり空を見上げて押し黙ってしまった。
 は菊の花を見詰める。劉備の言うとおり大きな、厚い花弁の花だった。現在の大菊とは比べ物にもなるまいが、それでもとても大きい花だった。
 不老長寿の言い伝えがあると聞く。ならば、高くつくだろうな、とは考えた。
 菊が本当に不老長寿をもたらすなどと、は端から信じていない。けれど、本当にそうでなくてもこの菊は高く売れるのだ。売れる理由があるから、売れる。もまた、同じだ。高く売れる理由がある。ならば、売ってくれて構わないと思う。
 言葉の綾ではないが、売れる内が花なのだ。
 丹精篭めて育ててくれたなら、そうして役に立ちたいと思う。恩返しとは、そういうものだろう。
「私はな、
 突然劉備が口を開いた。
「私は、この花を摘んで薬にしたいとは思わない。あるがままに咲き誇ってくれていれば、それだけでこの胸が安らぐ。何も、身を散らせるだけがこの花の生きる道ではあるまい」
 怒ったようにしゃべり続ける劉備の顔は、憤りに燃えて薄い朱に染まっていた。
 温厚に見えるが、激しやすい人でもあるのだ。
 アンバランスな揺れやすい心の持ち主、だから誰もがこの人を放って置けなくなるのかもしれない。
 支えたくなるのだ。また、崩したくなる。
「お前の処遇は、武道大会を勝ち抜いた者に託す。お前自身にも文句は言わせない。いいな、
 いいも悪いもない。
 君主たる劉備がそう定めてしまったのなら、に否はない。言えない。
「でも」
 それでもし、同盟が破棄されたら。戦になったら。
 ぞっとしては口を噤んだ。
 行きたいから行くのではない。行かなければならないから行くのだ。
 一人の為に、戦端を開くわけには行かない。孫堅がそれほど愚かだとは思わないが、理由は積み重なっていくものだ。ならば、積まない努力は必要不可欠だろう。
「私は、」
 劉備は、一度言いかけた言葉を飲み込んだ。腹の中で暴れまわっている言葉は、結局納めきれずに劉備の口を飛び出す。
「私は、それほど頼りにならぬ主か」
 問題がずれている。
 そうではない、そうではなくて、貴方が守るべきものが他にあって、それを私も守りたいから私は行くのです。
 考えてみれば、現代人のが何もここまで尽くす必要はないかもしれない。
 死の恐怖など上っ面の言葉だけで、現実味など欠片もなかった。命を賭けるなど、更に推して知るべしだ。
 けれど、だからこそ命を賭けることに尊さを感じ、不純な憧れを抱く。
「かっこつけたい、だけなんです」
 はぽつりと呟いた。
「私の国じゃ、命賭けるとか本気で何かに当たるのって恥ずかしいというか、かっこ悪いみたいに言われちゃうんですよね。真面目にこつこつなんて馬鹿みたいだっていう感じで。楽して、簡単にほどほどいい目をみたいって言うか。私はそういうの、何となく嫌で……何か違うなぁ、何かおかしいなぁって思ってたから」
 上手く説明できなかったが、そういうことなのだ。
 本気で打ち込めるものを手に入れられて、だから自分は今、本当に恵まれていると思った。
「嫌々だったら、私、こんなに落ち着いてませんから」
 うん、そうだ。
 は自分の言葉に深く納得した。
 私は嫌々呉に行くのではない。蜀の為にできることをしたい、だから行くのだ。それが私のやりたいことだから、行くのだ。
 すっきりとした顔をして、空を見上げるの横顔を劉備は見詰めていた。
「……だが、お前の処遇は、大会の優勝者に委ねる! もう決めたのだ!」
 突然喚き散らすと、もう一回諸葛亮に掛け合ってくると言って飛び出していってしまった。
 まだ大会に出るのを諦めていないらしい。
 罷り間違って孫策が優勝でもしたら事だと思っているのだろうか。
 諦めの悪い駄々っ子のような君主の後姿を、は呆然と見送った。
「……あ、鍵……」
 施錠はどうすればいいのかと途方に暮れた。辺りに人気はないし、このまま室に戻るのもはばかられる。そもそも、がここに居ていいのかすらわからない。
 困り果てているを他所に、秋の風が菊の花弁を静かに揺らした。

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