「やけにすっきりした顔をしている」
 趙雲は訓練用に使うような木槍を肩に笑っていた。
 よく見渡せるようにと高い台の上にちんまり乗せられたは、見上げてくる趙雲の顔を見下ろした。
 趙雲の頭の高さより少し高いくらいの位置に座っている。結構高い台なのだ。
 からも予選会場がよく見渡せるが、逆に会場からもがよく見えることだろう。
「うん、何か、すっきりしてる」
 表情も変えずに、青に白い霞がかかった空を見上げた。もうしばらくすれば冬が来るだろう。温暖な蜀の地とは言え、静かに近付いてくる冬の気配を感じた。
「少しは愛想良くしたらどうだ。この中に、お前の夫が居るかもしれぬのだぞ」
「こんなに多かったら誰に愛想売っていいかわかんないよ」
「とりあえず、お前の目の前にいる男に売ってはどうだ」
 目の前、と言われても趙雲しか居ない。
 趙雲が、自分に愛想を売れと言っていると理解するまで数秒かかった。
「……えへ」
 遅い、と趙雲が不機嫌そうに睨めつけてくる。
「何か考え事か」
 呉のことを考えていた。
 一時的にということで帰郷を許されたのに、ずいぶん長い間蜀に留まってしまった。
 先方がやきもきしていないといいのだが。
 ふっと更に高台に設えられた観覧席を見遣ると、劉備が不貞腐れて会場を見下ろしているのが見えた。諸葛亮は目敏くの視線に気がつき、羽扇を軽く掲げて合図してきた。
 目礼で返し、趙雲に目を向ける。
「子龍が、私を呉に送り出してくれるって言うなら、応援してあげてもよろしくてよ」
「御免被る」
 コンマ三秒で却下を食らう。
 ちっ、と舌打ちした音は小さかったが、趙雲の耳にはしっかり届いていたらしい。きろりと睨まれてしまった。
「いっそ、そこらの一兵士でも優勝させてやるか」
 どういうことだと問うが、趙雲は返事もせずに背を向けた。
 何なんだと首を傾げる。
 旦那の方が身分が低ければ(基本的には文官の方が立場は上だ)、呉に行くのは容易かろうが趙雲の言い方ではそんな感じにも取れない。
 やきもち、焼いたってワケじゃないよねぇ。
 焼く理由がない。応援してあげてもいい、という言い方が気に入らなかったのだろうか。
 だったら、応援してくれと素直に言えばいいだけのような気もする。
 野郎の考えることなんか、よくわからんわい。
 がうんざりとしていると、今度は尚香がやってきた。
「はぁーい、! 元気にしてる?」
 元気そうに見えますかと聞き返すと、全然、と返ってきた。
「……尚香様……」
「あっは、ごめんごめん。でも、私がすぐにそこから下ろしてあげるから、待ってなさいよ」
 尚香が既に何戦か勝ち抜いているのは知っていた。尚香が今使っている武器も、形は圏だが木製に布を巻いているものに変わっていた。大会と言うことで、主催者側が用意した武器以外の使用が禁じられているのだ。
 皆が皆、慣れない武器に四苦八苦しているが、女性陣は割合すぐに馴染んだようだ。普段から軽めの武器を使っているのが効を成しているものらしい。関羽などは、普段は重さ八十二斤の青龍刀を扱っているわけだから、雲のように軽い木製の青龍刀の扱いに困惑しているらしい。それでも勝ち抜いているらしいから、たいしたものだが。
「……尚香様が優勝したら、私が呉に行くって言ったら……」
「優勝するわよ!」
 意気揚々として胸を張る。更に『絶対行かせない』と可愛らしく言われては、もう何も言えなくなった。
「だいたい、あんなの父様のわがままなんだから、ほっとけばいいのよ!」
 おお、さすがに親子だ。わがままの仕方もそっくりでござる。
 口には出さず、えへらと笑って誤魔化した。
「お姉さま」
 星彩が現れて、肩掛けを持ってきてくれた。
「お茶でも、お持ちしましょうか」
 気持ちはありがたいし、本音を言うと喉は渇いていたのだが、が腰掛けている台には梯子も階段もない。が上った瞬間、取り外されてしまったのだ。正方体の台の上には赤い毛氈こそ敷いてあったが、それだけだ。逃げないようにということなのかもしれないが、いくら何でもあんまりだ。
 吹き抜ける風にすっかり体が冷えてしまって、だが利尿作用の強いお茶なんか飲んだらトイレに困る。
「……私、ホウ統殿に掛け合ってまいりましょうか」
 星彩も似たように感じたのか、眉間に皺を寄せている。
「あー、いいよいいよ。たぶん、休憩時間には下ろしてくれると思うし」
「では、そのお時間になったらお迎えに参ります」
 一緒に食事を取りましょう、と微笑むので、思わず頷こうとした。
「……は、私達と食事することになってるのよ」
 それまで黙っていた尚香が、突然口を挟んできた。
「玄徳様が、せめてに美味しいものをご馳走するって言ってたもの。だから、駄目よ、
 顔には出していないが、星彩が不機嫌になっているのがわかる。尚香の言い方に棘が感じられるので仕方ないと言えば仕方ない。
 星彩が尚香に頭を下げ、一応納まったかのように見えた。
「……お姉さま、私が優勝して、早くお姉さまをそこから自由にして差し上げますね」
「優勝するのは、私よ」
 今度こそ、青白い火花が飛び散ったのをは感じた。
 ひぃ。
 何度か似たような場面に出くわしているが、男同士のそれよりも女同士のそれの方が更に恐ろしい。尚香と星彩の組み合わせは、ベスト3に入れたい緊迫感を伴っている。
 くわばら、くわばら、と首をすくめた。
っ、この子、誰なのよ!」
 尚香が突然星彩を指差す。
 ここに来て『この子誰』はないと思う。それに、人を指差すのは誰が相手でも失礼ですからお止め下さい。
 実際にの口から出たのは『あわあわ』だったので、説得力は皆無だった。
「私は星彩、張飛将軍の娘です」
「……貴女には聞いてないわ、私はに聞いてるの」
 びしびしっ!
 ひい、怖いよう、ひい。
 周囲に助けを求めるが、誰もが見て見ぬ振りをしている。孔明でさえ、山の彼方を見ている。
 コンチクショウと憤慨していると、春花がてくてくとやってきた。
さま、お腰が冷えてはなりませんわ。こちらをお敷き下さいませ」
 薄い座布団のようなものを手にしている。
 目一杯手を伸ばすが、春花の身長ではの腰掛ける台の上には届かない。
 尚香と星彩も気付いたようで、睨みあっていたのも忘れたように、あ、と小さく声を上げた。同時に伸ばしかけた手が、同時に止まる。
 春花の体がひょいと宙に浮く。
 直に受け取り、台の下を覗きこむと春花は魏延の肩に乗せられていた。
「有難うございます、魏延殿」
「有難うございますわ、魏延様」
 はともかく、春花もすっかり魏延に慣れたらしい。こういう大物っぽいところは頼もしい。いくら良い人だとは言え、魏延の見た目はやはり恐ろしいのだ。
 不気味な仮面は、露出した魏延の目元すら怪しい影で覆ってしまう。その目で見回され、さすがの尚香も星彩もやや怯んだようだ。
 ちょうど名前を呼ばれたのに合わせ、試合場に向かってしまった。
「後でね、
「ではまた後程、お姉さま」
 二人を見送り、は魏延を見下ろして笑った。
「……ホントに、有難うございます魏延殿」
 の笑みに、魏延はわかったようなわからないようなで首を左右に傾げた。
 黙ってじっと見上げてくる魏延に、は首を傾げ返した。
「……、我、許ス……?」
 何を?
 やはり問い返すと、魏延は困ったように俯いた。
 言いたいことは察しがついていた。
 魏延は、自分がこの大会に参加したことに引け目を感じているのだろう。優勝すれば、は魏延の嫁になる。魏延自身がそのことに言い知れぬ申し訳なさを感じているのだ。
 それはでも、ちょっと思い違いだと思う。
「お祭りですからね」
 の言葉が思いがけなかったらしい、魏延は間の抜けた顔をした。
 くつくつと笑うに、魏延はうろたえて埒もなく辺りを見回す。
「楽しめば、いいんですよ。私も、魏延殿もね」
 春花に同意を求めれば、春花もにっこり微笑んで頷いた。魏延は二人を見回す。先程の尚香と星彩とは違い、二人ともにこにことして魏延を見詰めている。
 何か考え込んでいた魏延だったが、こっくり頷くと武器を肩に試合場に向かっていった。
 春花は、応援に行くと言って魏延の後を追いかけていった。人ごみに紛れて迷子にならないかと心配になったが、そんな心配は杞憂だった。
 とっとっと、と歩く様は可愛らしくも見えるのだが、魏延の周囲から人が飛び退るように離れていく。ちょっとした十戒の名シーンばりだ。
――可哀想じゃあないかえ。
 ホウ統の言葉を思い返していた。
――憎まれ役なら憎まれ役らしく、高嶺の花の一輪落とすくらいのいいことがあってもいいだろ?
 でも、私は問題はそこじゃあないと思うんですよ、ホウ統殿。
 本当に、魏延が報われるためには、その為には。
 目を向けた先に、端からこちらを見ていたらしい諸葛亮とばっちり目が合った。
 ぎょっとして身を引くと、諸葛亮は意味深げな笑みを口元に浮かべ、そっと羽扇で隠した。
 うわ、目ぇ笑ってねぇー……。
 口元が隠されることで、爛々とした目が際立つ。
 魏延に良くすることは、諸葛亮の本意に背くことになるのだろうか。
 は、ぐっと唇を噛み締めた。
 イヤ、でもだって、私は孔明様に媚びたいわけじゃないもんね!
 敵に回せば恐ろしい人間の代表のような人だと知覚している。けれどそれを差し引いても尚、魏延に同情する気持ちが強い。悪い男ではない。優しい、不器用なだけの男だ。見た目は怖いかもしれないが、そんなことは無双のデザイナーにでも文句をつけたらいい。
「どうした、
 下を覗きこむと、今度は馬超だった。後ろに馬岱を従えている。
「勝ってる、孟起」
「当たり前だ」
 慣れぬ武器でも、馬超の技量にさしてハンデをつけるものでもないらしい。
 馬岱も勝ち進んでいるらしく、口元に微笑が浮かんでいた。
「俺が勝つぞ、
 何を想像しているのか、やたらと朗らかな馬超に苦笑が浮かぶ。
 関平が通りかかった。
「あっ、関平殿ー!」
 ぎくりと肩をすくめる関平に、はおやと訝しく思った。明朗快活な好青年の反応らしくもない。
 まぁいい、応援すると言ってあったのだからと、は手の平をメガホン代わりにして声を張り上げる。
「調子はどうですかー、頑張って下さいねーっ!!」
 ざざっと周囲の注目が関平に集まる。たじろいだようにしゃちほこばる関平に、はあれ、と呟きを漏らした。
「……まずいでしょう、殿」
 苦笑した馬岱が、初めて口を開いた。
 え、と振り返るに、馬岱はしょうがない人だというように頭を振った。
「今の今まで、誰を応援するでなく空を仰いでいた方が突然特定の将に声掛けなどしたら、その将は目をつけられて然るべしですよ。まして関平殿の得物は斬馬刀、この大会では不利と思われておりますのに」
 そうか。
 今更は思い出していた。模倣刀とも口が腐っても言えぬようなちゃちな木刀や木槍を使っているのだ。関平のような、重量を利用する得物使いには不利も不利だろう。
「え、でもそんな、応援したの初めてでしたっけ、私」
 ここに座ってからこの方、割合皆に声を掛けてきた気がするのだが。
「声がけられればお返事なさっておられたようですが、ご自分からなさるのは初めてかと」
 ね、従兄上と馬超に振ると、馬超はやたらと小難しい顔をして口を尖らせていた。
「……あ、そう言えば従兄上、この次は確か関平殿とでしたね」
 げふん。
「え、何、孟起と関平殿、同じ組なの!?」
「えぇ。ね、従兄上」
 馬超はもはや何も聞こえていないというが如く、関平に顔を向け微動だにしない。
 からは見えないが、関平の顔が異様に引き攣っているから、きっと物凄い顔をして睨みつけているに違いない。
 関平に悪いことをしてしまった。
 取り返しがつかない。せめて、心の底から関平の無事を祈るのみだった。

 馬岱に宥められながら馬超が去ると、趙雲が戻ってきた。
 もう、一試合済ませてきたという。
 の腰掛ける台にもたれ、他の試合を見ている。言葉はない。不機嫌な顔も先程と変わりなかった。
 この顔と対峙した選手は気の毒と言うしかない。さぞやおっかなかったことだろう。
 不意に趙雲が身を起こした。試合に向かうのだろうか。
「子龍、あの」
 頑張ってくらいは、言ってやろうか。
 慌てて口を開いたに、趙雲は声を被せるようにして睨めつけた。
「どうせ、すぐまた惑うくせに」
「……何それ」
 どういう意味だ。
 むっとするに、趙雲は輪をかけて不機嫌そうに足早に立ち去ってしまった。
 追いかけて問い詰めることも出来ず、は膝の上で拳を握り締めた。

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