一日かけて、百人を超す参加者をふるいにかける。
 やはりと言うか何と言うか、将軍職についているような将達が圧倒的な力を見せていた。が、それでも兵士達にしてみれば、普段手合わせなど望むべくもない将達と遣り合えたことで満足できるものらしい。
 予選落ちが決まったらしい兵士達が円を組んで、やれ張将軍の扱う矛の重圧といったらだの、やれ姜将軍の軽やかな足捌きがどうこうの、解説者か語り部にでもなったかのような賑々しさで語り明かしている。
 孫策と当たった者達は、何故か試合途中にも拘らず武術指南を受けたとかで、会場の隅で復習していたのが可笑しかった。勝手気ままに見えるあの男も、意外に面倒見が良いのだろう。
 昼を過ぎ、冬に近い為か日差しは既に中空よりだいぶ下の方へと移ってきていた。
 いい加減腹も空いたし、下ろしてくれないだろうかと思っている頃にホウ統がやって来た。
「悪かったねぇ、今、下ろしてあげるからね」
 梯子をつけてくれたので、やっと地面に降りられた。
 大地を踏みしめると、何故だかほっとした。
「何処行ってたんですか」
 刺々しい言い方になってしまうのも致し方ない。完全放置プレイを食らっていたのだ。少しは目を瞑ってくれなくては、それこそ詐欺だ。
 ホウ統は困ったように頭の辺りを撫でた。
「それが……ねぇ、孔明に謀られてね」
「は?」
 謀られたとは、人聞き悪い。しかも、相手は諸葛亮だという。
「そのぅ……あっしも、この大会に参加させられることになっちまったんだよ。何せこの人数だろう、捌く側の人手が足りないから、お前さんの面倒はあっしが見るつもりだったんだが……そんなわけで、人の手配も出来なかったんだよ。すまなかったねぇ」
「はぁ」
 の呆れたような声に、ホウ統は身を縮こまらせた。
「いや、あっしだってまさか、いきなり出ろと言われるとは思わなかったんだよ……わざと負けようと思っちゃいたんだが、相手があんまり真面目でさ、後生だから手を抜かないで下さいなんて言われちゃあ抜こうにも抜けやしないだろう」
 何故だか言い訳がましい。口振りからして決勝に残ったんだろうが、別に実力で勝ち抜いたんなら後ろめたく顔を伏せることもないだろう。
 ホウ統も自分の姿形の美醜に悩んでいるそうだから、魏延と同じく引け目に思っているのかもしれない。
 は自分が景品になっていて、優勝者の嫁になるという話自体ぴんと来ないからホウ統が引け目に感じているのもやはりよくわからない。
「……ホウ統殿、私が呉に行くって言ったら止めます?」
「え? な、何の話だい?」
「いいから。止めます? それとも、ちゃんと送り出してくれます?」
 ホウ統はしばらく小さな唸り声を上げていたが、ちらりとを見上げると観念したように真正面に向き直った。
「……お前さんが行きたがらなくても、送り出しちまうかもしれないね……あっしも所詮は御国大事の宮仕えさ」
「よし来た合点だ」
 ホウ統の肩がすとんと落ちた。肩に力が入っていたのだろう、の間髪入れぬ馬鹿な返事に、それが一気に抜け落ちたらしい。
 は腰に手を当て、胸を張った。
「ホウ統殿、めいっぱい応援して差し上げます。是非とも優勝して下さい」
「へ」
 未だワケがわからず、と言った風情のホウ統に、は快活に笑った。
「呉に行ったきり帰ってこないかもしれませんけどね……私だって所詮御国大事の宮仕えですよ」
 こんな女を嫁にしたいって男の気が知れねぇ、とは笑いつつも吐き捨てる。びしっと鼻先に指を突きつけられ、驚き見返してくるホウ統の耳に口を寄せる。
「喜んで嫁に行くなんて言い触らした罰ですよ。何とかして下さいね」
 暗に嫁に行く気なんか欠片もないぞと言い含め、は大股で立ち去っていった。
 後に残されたホウ統は、ずれてもいない兜を直しながら溜息を吐いた。
「……いやぁ、こいつは参ったね……たいした重責だ」
 魏延の嫁に、と思ったのはいいが、とんだじゃじゃ馬だったらしい。思惑通り魏延が優勝したとしても、これでは先が思いやられる。
 悪いことしちまったかねぇ、とぶつぶつ呟くホウ統の口元は、何故か微笑を浮かべていた。

 後ろから飛びつかれ、心臓が口から出るかと思った。
「なぁに、ったら豚が屠殺される様な声出して」
「言うにことかいて、なんつーことを仰るんですか尚香様」
 尚香はすぐ謝ってくれたが、笑いながらなので本当に悪いことを言ったと思っているか謎だ。
「まぁ、そんなことどうでもいいわ」
「どうでもいいって」
「いいじゃない。あのね、。私、決勝戦に上がることになったわよ」
 鼻高々だ。も苦笑しつつ、祝福を述べた。
 尚香は嬉しそうな、少し照れたような笑みを浮かべた。
「一番にね、に教えてあげたかったの。台にいないから、探しちゃった」
 そのまま自然にの腕を取り、二人は並んで歩く。
「一番って、まず劉備様に教えて差し上げればよろしいのに」
「うぅん、玄徳様には二番目に教えてあげるの。一番は、にって決めてたの」
 それは。
 面映くなって、は笑って誤魔化した。
 尚香はただ嬉しそうににこにこ笑っている。
「予選は勝ち抜きだったから、結構簡単に決まったのよ。けど、決勝は総当りになるから、最後まで気が抜けないわ。応援してね、
「……呉に行かせてくれるなら、応援してあげますけど」
 苦笑して返すと、尚香は頬を膨らませてを睨めつけた。
「だめよ、呉には行かせないんだから。玄徳様だって約束してくれたのに、急に駄目になっちゃって。でも、私が優勝したら私の好きにしていいって孔明も言ってくれたのよ。だから、も私の言うこと、聞きなさい?」
 嘘の嫌いな姫君だから、相当怒り狂ったのだろう。諸葛亮といえども、よく『優勝したら』の条件付で納得させたものだ。言霊使いなのだろうか。
 これで負けたらどうなるか、頭が痛くなってきた。
「大丈夫よ、
 目敏くの顔色を察した尚香は、ふふ、と思わせぶりに笑った。
「蜀はお堅いお国柄だから、主君の妻に手を上げるような不逞の輩は早々居ないわ。私の勝ちは、決まったようなものよ」
 それで、ずっと余裕を見せていたのか。
 事実とは言え少々呆れて、思わず顔に出してしまった。尚香自身も少しは後ろめたいのか、肩を竦めて照れ笑いする。
「……内緒よ、でも、私だってこっちに来てからと遊ぶのずっと我慢してきたんだもの。もう少しでやっと面倒臭いのが終わりそうっていうのに、が呉に行っちゃったら元も子もないじゃない」
 尚香は蜀に戻ってからこの方、こちらのしきたりだの儀式だのの勉強で休む間もなかったらしい。それでも、覚えてしまえば後はと遊べるからと、それを支えにして頑張ってきたのだ。
「私、自分でも驚くくらいすっごく頑張ったのよ。蜀って、古い土地柄覚えなきゃいけないことが山みたいにあって、しかも呉と違うことも結構あって。玄徳様だって、私がこんなに頑張っているならって言って、を呉にやらないって決めて下さったんだから」
 だから、は呉に行ってはダメ。
 尚香はぷりぷりしながら、何度も駄目出しを繰り返した。
 も苦笑しつつ、尚香がこれほど望んでくれるなら、少しだけ呉に行くのを遅らせてもいいかな、と考えていた。
――すぐ、惑うくせに。
 はっとした。
 趙雲の言う通りになってしまっている。
 見透かされたと露呈してしまったようで、は口をへの字にした。趙雲は、このことが言いたかったのだろうか。
 急に黙りこくって眉間に皺を寄せたに、尚香は足を止めた。
「……あの……そりゃあ私だって、が仕事で呉に行くんだっていうのはわかってるわよ、でも……」
 声が涙混じりになっているのに気付き、は我に返って言い訳を始めた。
「や、や、尚香様のことじゃないです、あの」
 一度口を閉ざしかけたが、腹立ち紛れもあってぶちまけた。
 趙雲が酷いのだとまくし立てると、尚香は同意の素振りは見せず、何故か不思議そうな顔をした。
「えー、そんなはずないわ……だって、私がこの大会で一番厄介そうだなって思ってたのは、趙雲なんだから」
「え、何でです」
 忠義に厚い趙雲が、それこそ主君の妻たる尚香に手を上げるはずがない。下手すれば不戦敗しかねないとみていたくらいなのだ。
「だって、そこらの一兵士に優勝させるなんて……本当にそんなこと言ったの、趙雲が」
 尚香は、しつこいぐらいにの話を疑って掛かった。
 すべて本当のことだから、そうしつこく食い下がられると困惑するよりない。
「……え、だって、じゃあ尚香様はなんで子龍がそんなこと言わないって思うんです?」
「だって、」「お姉さま!」
 返事しかけた尚香の声に、星彩の声が重なった。
 小走りに走ってくると、まず尚香に拱手の礼を取り、に微笑みかけた。
 すわ、また雷が飛び交うのかと青ざめただったが、予想は外れた。
「……勝ち抜けた?」
「はい、先程の試合で」
 そう、良かったわと尚香はの腕を取ったまま歩き出す。星彩は後からついてきた。
 何だ何だと後ろを振り返るに、尚香はつんと澄まして腕を引っ張った。
の歌が好きな者同志、ってことでね、必勝祈願を兼ねてごはん一緒に食べることにしたのよ」
 いつの間に。
 すっかり仲良くなった風で、が首を伸ばして星彩を振り返るとくすくすと笑っていた。
「……私が試合をしていたら、尚香様がいらしていて。なかなかやるわね、と仰って下さって」
「私の好敵手にしてあげることにしたのよ」
 取り澄ました尚香の頬に赤みが差している。
 あまりの可愛らしさにが思わず吹き出すと、尚香の目が吊り上った。
「何よ、が困ると思ったから、私が折れてあげたんじゃない!」
 は必死に笑いを噛み殺しつつ、腕に掴まっている尚香の手にそっと手を重ねた。
「はい、有難うございます。尚香様、大好きですよ」
 薄っすらだった頬の赤みが、どかんと一気に真っ赤になった。
「なっ、なっ、何よ、何よ何よもうーっ!」
 ばしんっ!
 尚香がの背中を張り飛ばすと、は勢いで前方に吹っ飛んだ。当の尚香が掴んだ手に力を篭めて支えてくれたから良かったようなものの、それがなければ前方一回転ぐらいはしていたかもしれない。
「なっ、何よもうったら、幾らなんでも大袈裟でしょ!」
 衝撃でむせているの背を、星彩が心配そうに摩っている。
 尚香は必死に大袈裟だとまくしたてているが、にしてみれば内臓が飛び出るかと思ったほどの衝撃だった。
 この調子で劉備の相手をしているのかと思うと、眩暈がする。
 食事前だと言うのに、は空腹感が遠のいていくのを感じていた。

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