決勝戦当日を迎え、選手達はそれぞれ晴れがましい顔をしていた。
 一部の選手は少し青ざめた顔をしていたが、老練な将の手管にはめられ二日酔いなので仕方ない。
 策を弄した老練の将は引っ掛かった獲物の少なさに不満げだったが、引っ掛けられた側としてはたまったものではない。真隣に清廉かつ厳格な幼馴染が並ぶ関平としては、下手に弱いところも見せられず四苦八苦していた。
 16人が総当りと言うことで、見応えもあるが相応に時間も食う。特設された闘技場は正方形のものが4つあり、同時に4試合行うことで落着していた。これも、当初は8会場作ろうという案が出ていたのが猛反発を食らい、仕方なく半分に減らした。
 決勝を彩る夢の手合わせ、少しでも多く己が目に焼き付けなければ損だという意見が多かった。更に国政上執務を滞らせるわけにも行かず、その主なところは諸葛亮ら文官が背負うこととなったのだが、とっとと終わらせろと言うかと思いきや、逆に少しでも時間を引き延ばして1試合でも見る機会を得たいという要望が強かった。門兵や国境を守る兵達の切望もある。
 とは言え、さすがに何日もかけて行うわけにもいかない。選手達は『俺より強い奴を求めて』集まった格闘家などではなく、蜀を支える将や文官なのだ。下手に千日手に陥られては敵わない。特に以前、馬超と孫策が遣り合った時は半日を優に超した戦いをしてのけたのが記憶にあったのだろう。試合には制限時間や規則が設けられている。文句が出なかったわけではないが、すべて聞いていてはお話にならない。妥協させたと聞く。
 その、妥協させるのに尽力した諸葛亮は、進んで執務に当たっている為昨日の昼から執務室に
引っ込んだままだそうだ。1日2日程度のこととはいえ、文官の仕事の要を担うホウ統が試合に出ている為、能力的に諸葛亮が代役を務めざるを得なかったのだ。
 月英辺りが遠征から帰ってきてくれていれば少しは話も違ったろう。
 ちゃんと食事をとっているのかと、は上司の身が少し心配だった。
 開会式の挨拶が簡単に済ませられ、試合の予定表が各闘技場別に一覧にされたものが引き出された。見物に来た兵士達が殺到する。
 の居る台の横にあるものだから、人の走りこむ勢いで台が揺れ、は両手両足を使って踏ん張らなくてはいけない羽目になった。
 反対側には、まだ空欄の勝敗表が設置された。勝てば白丸が、負ければ黒丸がそれぞれの名前の欄に記される。これで、誰がどれだけ勝ったかの確認を容易にしようと言うらしい。一人だけ勝ち抜いていれば、全ての試合が済む前に優勝が決まる。
 とは言え実力は伯仲している16人だから、恐らく最後の最後までもつれ込むに違いない。だからこれはむしろ、選手達の気を焦らす為の表に思えた。
――孔明様、何考えてんのかなぁ。
 以前、にどうしても呉に行ってもらうといった言葉に偽りはないと見ている。何せ金がかからない。貧乏(の想像する貧乏とはまた少し違うのだが)な蜀にとって、これほど有難いことはない。更にそれが有効そうな手段とくれば言うことなしだ。
 だが、優勝者の如何によってはその目論見は崩れてしまう。仮に孫策が優勝したとしたら、は孫策に与えられた景品として目出度く持ち帰られてしまう。そうなったら、蜀の文官として使節になることは叶わない。代わりに大事に仕舞いこまれて、厄介な孫堅や他の将達との交流はなくなるだろうが、蜀の為には何にもならない。
 尚香が優勝したら自分の側仕えにすると言っているし、馬超は自分の家に仕舞いこむだろうことが容易に想像できる。姜維はを呉にやるにせよ、自分も着いていくと言い出しそうだ。
 関平はを解放してくれると言ってくれたが、既に二日酔いの罠に掛けられている。趙雲に至っては、コンマの単位で呉への出立を拒否された。
 誰が優勝したら、一番丸く収まるだろうか。
 難しい顔をして考え込んでいるを、誰かが呼ぶ声がした。
 台の端まで出向いて見下ろすと、見たことのない若い兵士達が目を輝かせてを見上げている。
 誰だろうと首を傾げると、慌てて拱手の礼を取られた。
 ワケがわからないながらに拱手の礼を返すと、兵士達の内の一人が自己紹介を始めた。
「あ、あの、自分は趙将軍配下の者であります! あの、殿には初めてお目にかかります!」
 横合いから殿はまずくないか様って言わないと、とツッコミが入った。小声だったが、の耳にも届く。
「殿、で結構ですよ。何か御用ですか」
 声がけた兵士とツッコミを入れた兵士は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。更に別の兵士が拱手を掲げながらに声を掛けてきた。
「あの、殿、は、そこから降りられることは出来ないのでしょうか!」
「はぁ」
 は背後を振り返る。
 困った輩がうっかり上ってきたりしないように、やはり梯子は取り外されているのだ。今日は旗を持たされていて、合図すると春花なりが係の者に言いつけて梯子を出してもらう算段になっている。ただ、あまりうろうろしないように厳命されていた。賞品がうろつくのは、あまり見目がよくないそうだ。
「降りられなくもないんですけど……何ででしょうか」
 理由によっては降りられる。が問うと、兵士達は口々に騒ぎ出した。
「あのっ、将軍を」
「趙将軍の試合を」
殿の応援が」
「絶対勝てるはず」
 一遍に話し出すのでわけがわからない。手で制すと、ぴたりと口を閉ざした。
「あの、お一方ずつお願いできますか」
 若さ故か、今度はお互いにぐすぐずと譲り合う。足して2で割ったらどうかと指導したくなった。
 最初に声がけてきた兵士が、勢いよく手を上げた。
 私ゃ、ガッコのセンセーか。
 内心やさぐれながらどうぞと促すと、兵士は生唾を飲み込んでから口を大きく開いた。
「あの、殿に趙将軍を応援していただくことはできませんか……あの、できたら試合場の側で!」
「俺達が、周囲を警護いたしますから」
「何だか昨日の将軍は、技に冴えがなくて……普段なら、どんな将軍にも絶対負けやしない方なんで
す! だから、殿の応援さえあればきっと……」
 どうやら、趙雲に熱烈に憧れている兵士の集団らしい。確かに、傍目から見れば昨日からの趙雲は調子が悪く見えるのかもしれない。
 が、にしてみれば、あれは調子が悪いのではなく不貞腐れているだけだ。それに、趙雲がにどうこう言う話が遂に兵士達にも伝わったかと思うと、こっ恥ずかしくて出向けるものでもない。
 かてて加えて、優勝者の景品たるが下手に誰かを応援などしたら、それこそ騒ぎの元になりかねない。
「聞き捨てならんぞ、お前ら」
「そうだ、趙将軍が一番強いなど、誰が決めた」
「一番強いのは、馬将軍に決まっておられる」
「何、それこそ聞き捨てならぬ」
「蜀の青龍、関羽様を差し置く気か」
「強さにおいて張飛様の横に並ぶ者なし!」
「老齢のみが為すしたたかな強さ、お前達のようなひよっこにはわかるまい」
 騒ぎになった。
 場所が場所だけに、贔屓の選手が居る熱心な見物客が集まっていたのだ。と兵士達の遣り取りも、自然耳に入ってきたのだろう。
 趙雲配下の兵士も負けずに言い返しはじめた為、喧騒は更に凄まじくなった。小競り合いで台にぶつかる者がいたらしく、突然の激しい揺れには肝を冷やした。
「ちょ、ちょっと、あの……」
 が声を掛けようにも、皆が皆己らの議論に熱中して聞いていない。議論と言うより水掛け論で、互いに贔屓の選手こそが最強と譲らないものだから一向に醒める気配がない。
 揺らされることで恐怖感が増していき、どんどん口が重くなる。
 台を構成する木枠がみしりと嫌な音を立てるのを聞きつけ、の口は完全に閉ざされた。
 怖い、どうしよう。
 殴り合いに発展しそうな寸前、の脇に立つ人が居た。
「皆の者!!」
 響き渡る声に、一瞬で誰もが黙った。
 劉備だった。
「……決勝に駒を進めし将達も、それ以外の者も、勿論そなた達も。我が精鋭、我が最強の兵である。誰がと言うことは問題ではない。皆、今日のこの戦いを刮目して見るが良い」
 未だ不満の残る兵士達に、劉備は微笑みかけた。
「お前達も、皆の期待を裏切らぬ試合を見せるよう。……良いな、この劉玄徳、しかと申し付けたぞ!」
 ざっ。
 返事の代わりに選手達は姿勢を正し、手にした武器を高々と掲げ上げる。
 何時の間に来ていたのか、言い争っていた人々を取り囲むように16人の選手達が立っていた。
「兄者のお言葉、しかとこの胸に刻みましたぞ。この関雲長、名に恥じぬ戦いをお見せすることを誓いまする」
「よぉぉぉし、俺の戦いぶり、後世自慢できるような語り草にしてやるぜ!」
 星彩が重々しく頷き、関平は先程の不調振りが嘘のようにきりりと眼に力を篭める。
 憧れの将達に囲まれ、兵士達の頭もみるみる醒めていく。羞恥心だけが残り、皆恥ずかしそうに頭を掻いた。
「降りて間近で見たければ、降りても構わぬぞ」
 屈み込んだ劉備がひそひそと話しかけてきた。
 は笑って首を振った。もみくちゃにされるのが関の山だ。試合の邪魔にもなりたくなかった。
「すいません、劉備様にお手数かけてしまって」
 止められなかったことを恥じると、劉備が不意に頬杖を突く。
 不貞腐れたような態度にが首を傾げると、劉備は深々と溜息を吐いた。
「……皆が皆、この16名の内の誰かが最強だという。私が入っていないのに、だ。腹立たしくなっても仕方ないと思わないか?」
 一瞬呆気に取られたが、ぷっと吹き出してしまうと、劉備は顔を赤くしてむっとした顔を見せた。
「笑いごとではないぞ、。魏や呉であれば、こんなことは絶対にないだろう。面白くもない」
 劉備はの隣に腰を降ろすと、行儀悪く足を投げ出した。
「今日は、ここで試合を観覧する。優勝者が決まるまでは、は私が独り占めだ」
「尚香様に怒られても、知りませんよ」
「良い、怒られるとしても後々の話だろう」
 呉では私が我慢したのだから、と趙雲と同じことを言い出す。
「何か話をしてくれ。歌でも良いぞ」
 常になく砕けた態度の劉備に、は劉備が気を使ってくれているのかと思った。
 黙って劉備の横顔を覗き込んでいると、時間が勿体無いから早くと急かされる。
 ただ自分が聞きたいだけなのか、そうでないのかがわからない。
 は苦笑して、頭の中からとりあえず早く終わりそうな、短い話を探すことにした。

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