訓練用に使うような木槍や木刀だから、それほど見目は良くなかろう。
何となくそう思い込んでいたは、予想を遥かに上回る真剣勝負にその考えが間違いだったと突きつけられた。
刃の煌きなぞなくとも、彼らの動きはしなやかで美しかった。鍛え上げられた体は、舞を舞うが如き華麗な弧を描き、およそ歪な人の肉からこれほど鋭い直線が為されようとは信じ難かった。
いつか馬超と孫策が戦っていた時のように、は試合に見入っていた。
同時に4試合なんて勿体なさ過ぎる……!
の心の叫びは皆の心の代弁でもあった。1試合を食い入るように見られる者は幸いだ。大抵の者は情けない顔をしながらあちらの会場こちらの会場と目をうろうろさせている。どの試合を見たらいいのかわからないくらい、どの試合も白熱していたのだ。
試合のルールはこうだ。
制限時間内に、体の各所に取り付けられた薄い瓦を全て割られる、降参を申し出るまたは気絶する、場外に出て、時間内に戻れなかった場合は負け。時間内に勝負がつかなかった場合は、より多く瓦を割られた方または瓦の損傷が激しい方が負け。同じような場合は互いの瓦の状態で審判が協議、それでも決着がつけられない場合は時間を半分にして再試合。
自分以外の15人と戦わなくてはいけないから、結構な重労働だ。試合の運びによっては、まったく休憩を取れない選手も出てくる。確かに、最強を決めるというにはお粗末な内容だ。
しかし今、目の前で行われている試合はそんなことも忘れてしまうほどに華のある苛烈さを誇っていた。
「もう、兄様ったら妹に花を持たせるくらいの度量はないの!?」
「うーん、生憎、牀に忘れてきちまったみてぇだな!」
軽口を言い合っているのは、第一会場の尚香と孫策の組だ。
言葉の遣り取りは仲の良い兄妹のじゃれあいだが、繰り出す蹴りの鋭さは実戦そのものと言って良かった。
「兄様、私のことが可愛くないの!?」
「ばーか、可愛いからこうして全力出してやってんだろ!」
懐に飛び込んできた孫策を、尚香は側転でかわして背後につけるが、孫策も勢いをつけ前転し尚香の攻撃範囲をあざとく抜け出した。
初戦で勝って弾みをつけると意気込んでいた尚香は、思わぬ相手に苦戦を強いられている。瓦を割ってしまえばいいのだから、力で負けていても素早さで対応できると思っていた。が、相手が身軽い孫策では捕まえるのも一苦労だ。全身を躍動させて動き回る相手に、小さな瓦を狙って割るのは却って難しい。尚香の武器がどちらかと言うと『薙ぐ』形のものだったから尚更だ。
孫策も同じ格闘系の妹相手で苦戦をしているが、孫策の厄介なところは相手が強ければ強いほど興が乗ってやる気になるところだ。
尚香がむっとしてどんどん体を強張らせていくのに対し、孫策は体が解れてきたと言わんばかりに動きが格段に良くなってくる。
制限時間があるとは言え、長く掛かれば長く掛かるほど尚香には不利だ。何せ、この後も試合が立て続けにある。明日も予備日として確保されているが、今日中に少なくとも10試合はこなさなくてはならないだろう。下手をすれば15試合すべて消化させられる。
「もう、兄様の馬鹿っ! 後で覚えてなさいよ!」
「お前、そりゃねぇだろうよ」
距離を保つ尚香の体に、光が吸い込まれていく。無双の力を使うつもりだ。
逆転を狙った尚香は、一気に孫策の懐に駆け込んだ。
光が迸る。
孫策の肘につけられていた瓦が、衝撃に砕けた。
防御して尚激しい衝撃に、しかし孫策は笑みを浮かべた。
孫策対尚香、孫策の勝利にて決着。
関平の動きは固い。
昨夜の宴会の影響もあるかもしれないが、今となっては微々たる理由だと自覚があった。
得物を握る手に汗が滲む。この極度の緊張は、義父である関羽と対峙する時と同じかそれ以上だ。
片手で扱える矛と薄手の盾の組み合わせは、想像するより防御が固く、盾の影を利用した死角から繰り出される一撃は鋭かった。
既に半数近い瓦が割られている。武器の重量を当てにできないという本来の戦い方を損ねる要因に加え、攻撃主体の関平の戦法ではここからの逆転は難しい。
やはり拙者にはまだ力が足りぬのか……。
隣の闘技場では義父が叔父相手に戦っている。互いにいつもの何分の一、下手すれば十分の一にも満たない軽い武器に戸惑いがあるはずだ。
しかし、傍から見ている分には何の遜色も伺えない。
勝ち数の結果で運良く決勝に進めたものの、馬超と当たった時は情けないほどあっさりと敗北を喫した。
やはり自分はその程度の実力なのか。
武器の軽さが、肌にむず痒くさえある。芋虫が這うような感触に、関平は武器を投げ捨ててしまいたくなった。
「関平、集中して」
名を呼ばれ、はっとして顔を上げる。
星彩は構えを解いてはいない。だが、近距離を嫌って間を空ける関平に対し、詰め寄りもせずにそこに居た。
「私、関平と第一戦で戦えること、嬉しかった。貴方とは何の焦りも余裕もなしで戦いたかったから」
星彩の言葉に関平は目を見開いた。
同い年の二人は、誇らしい父の跡目を継ぎ次代の蜀を担う役割を与えられている。
だからこそ、支えあう相手としての実力を相手に知らしめたい。相手にとって自分がどれだけ強いのか、頼れるのか、信じあえるのかを示すいい機会なのだ。
「だからお願い、関平。今はこの戦いに集中して」
関平は、肩からふっと力が抜けたことに気がついた。あれほどいがいがとしていた手の内が、静かに納まっている。
「……すまない星彩、少しだけ待ってくれないか」
星彩は無言で構えを解いた。
関平は武器を下ろすと、鉢金を一度解いてきつく結び直した。綿地にじっとりと汗が染み込んでいて、自分の未熟さの表れのようだった。
武器の柄をしっかりと握り直す。
「有難う、星彩」
その礼が、単に待っていてくれたことに対しての言葉だけでないことを、星彩は理解していた。
関平対星彩、協議の結果星彩の辛勝。
関羽の頬に笑みが浮かぶ。
張飛もまた、不適に笑っていた。
楽しくて仕方がない。
天地神明にかけて同じ道を往くと決めた兄弟と、刃を交える。
有り得ない状況に、だがこうして二人対峙しているのが愉快でたまらない。
何せ強い。
今まで対峙したどんな敵よりも強い。
「やはりお前の勇は天下一だ、翼徳」
「へっ、兄者にそんなこと言われちゃぁ、ヘソの下が痒くなるぜ」
言いつつもまんざらでもない様子の張飛に、関羽は目を細めた。
ともすれば蛮勇と陰口を叩かれる張飛だが、その武勇はかつてのならず者じみた部分が影を潜め、誇らしいまでに成長を遂げている。
かつての張飛は、口では義だ、忠だと嘯いていたが、言葉が空回りして武に追いついていなかった。
劉備という大徳を得て、張飛の武には義と言う背骨が出来たのだ。
しっかりとして眩いまでに真っ直ぐな武に、関羽は穏やかに笑みを浮かべた。
「兄者、そんなにやにやしてやがると、俺様の矛に痛い目に遭うぜ」
照れたように憎まれ口をきく張飛に、関羽はにやりと笑った。
「おお、痛い目とやらに遭うてみたいものよ。翼徳、お前にそれが適うてか」
「ち、昔の俺じゃあないんだぜ」
張飛もまた、関羽の中にかつての無頼の血がしっかりと流れていることを感じていた。それは、流れ流れてこの蜀までやってきた自分達にとって忘れてはならぬものだった。
驕り高ぶり、かつて黄巾の徒に苦しめられていた民衆を救うべく立ったあの頃を忘れるようならば、義兄弟の縁を誓った意味もない。自分達が自分達である所以だと、張飛は信じ抜いていた。
久しぶりに実感した気がする。
「ゆくぞ、翼徳」
「おう、俺達の戦いに、細々した行儀作法なんざいらねぇ!」
交えた円月刀と矛が、その衝撃に木片を撒き散らす。ぎしりぎしりと不気味に唸る音に、見ている者の方が汗みずくになるほどだった。
関羽対張飛、武器の損壊により交換すること三度、決着せず引き分け。
かかん、こん、と甲高い音が鳴り響いていた。
木の槍の穂先が、細かにぶつかりあい奏でる音だ。
「む」
やりにくさに馬超が口を歪める。
「どうしました、従兄上。ずいぶんやりにくそうですが」
馬岱は空々しく尋ねる。
やりにくさは同じと思いきや、実はそうではない。
馬超の方は、馬岱の前に立つことが多い。対して馬岱は、従兄の姿を後ろから補佐することが多い。
つまり、馬超の動きをより知っているのは馬岱であり、馬岱の動きを馬超はあまりよく知らない。
西涼に居た頃は、互いに軍を率いていたからそうでもなかった、と、馬超は思っている。
「蜀に来て、と言うより西涼を出て、ずいぶん経ちますからね」
私とて成長の一つもいたしますよ。
従弟の軽口を聞きながら、言い返す口も持てずにその不機嫌を顔に出すに留める。
馬岱は可笑しそうに笑っていた。繰り手の鋭さは変わらないのだから、尚更憎たらしい。
「おい、岱。どうせは俺に譲る気でいるのだろう」
暗に手を抜けと示唆され、馬岱はますます可笑しそうに笑う。
「誰が何時、そんなことを申し上げましたか」
「……おい、岱」
ふふ、と笑うと馬岱はするすると馬超の懐に潜り込んでくる。
槍の柄の中程で上段から振り被る打撃を食い止めると、間近に馬岱の卑小な笑みを見てぎょっとした。
「殿が欲しければ、全力で私を倒すことです」
私如きが倒せずして、趙雲殿が倒せるものですか。
ぱっと飛び退る馬岱の背後に、静かに試合の動向を見守る麗人を見出した。群集が蠢く最中、何故かその白い顔だけが馬超の視界にぱっと飛び込んできたのだ。
俺を見に来たのか。
馬超の頬に赤味が差す。
「……岱、俺の全力が見たいのだな」
付け足すように囁いた言葉は聞こえなかったが、唇の動きから後悔させてやるぞと言ったように見えた。
余裕の笑みを浮かべながら、これはやり過ぎたかと馬岱は内心冷や汗をかいた。
馬超対馬岱、馬超の勝利にて決着。
試合は次から次へと進んでいく。
はふわわ、と不思議な声を発しながら手をわたわたと動かしていた。
「か、描きたい……」
この際竹簡に筆でもいいからと手を戦慄かせるの横から、何やら不穏な空気が流れてくる。
ぱっと振り返ると、半目でを睨みつけている劉備とがっつり目が合った。
「あ」
「……話の続きをする気は、まったくないようだな」
背中を向けて不貞寝の体勢に入った劉備に、は慌てふためき土下座して詫びをいれる。
劉備は振り返りもしない。
「わぁん、玄徳様―――っ!!」
みっともないから起きて下さいとは懇願する。
「嫌だ」
すっかり不貞腐れてしまった劉備は、ここぞとばかりにわがままを貫いていた。
諸葛亮が居てくれれば!
は思ったが、当たり前だが諸葛亮は何処にも居ない。執務についているのだから、こんなことで呼び出すわけにもいかない。
「わぁん、玄徳様、私が悪ぅございましたからーっ!!」
泣き喚くに背を向けた劉備は、こっそりと笑っていた。楽しんでいる。
そうとは知らないは、すっかりご機嫌を損ねた(と思っている)劉備の気を宥めようと懸命に手管を尽くす。
二人の遣り取りに、試合に熱中している観客達が気付いていなかったのだけが幸いだった。