夜、と指定はされたが、曖昧過ぎて何時行ったものだか判断が付かない。
結局、夜番以外が寝静まるのを待つことにした。
馬超は落ち着かなくそこらをうろうろと歩き回り、心を落ち着かせようと窓を開けて月を眺めたりした。
落ち着けるものか。
毒舌を吐き、苛立たしげに牀に座り、足をぶらぶらさせる。
――夜、来て。
どういう意味なのだろうか。
――……いやだから……夜、の、その、欲求、つーか。
――ど、どーしてるのかなぁって。
夜の、つまり性の衝動をどうしているか、は尋ねてきた。
馬超の気持ちは分かっているはずだから(わかっていないというなら憤死ものだが)、繋がりを考えればつまり、やはり、そういうことになるのではないか。
もやもやと蠢く感情の昂ぶりが、落ち着きなさに一層拍車をかける。
もう、いいだろうか。まだ早いだろうか。いや、しかし。
考えるのは、止めた。
日が暮れれば夜の訳で、きちんとした指定をしてこなかったのはの方なのだ。早く行ったとて、文句を言われるいわれはない。
馬超が室の扉に手をかけようと手を伸ばすと、扉は独りでに開いた。
呆気に取られる。
当たり前だが、独りでに開くわけがない。顔を上に向ければ、馬岱が立っていた。
「何をしておいでです、従兄上」
馬岱も少々驚いた顔をしていた。まさか、馬超が扉の前に立っているとは思っても見なかったのだろう。
説明するのは憚られて、馬超は軽く咳払いをして誤魔化した。
けれど、相手は馬岱なのである。
「殿のところへお出でになるのですか」
ずばりと言い当てられ、馬超の口元はひん曲がる。
忌々しいほど敏い従弟は、だが、馬超の予想に反して苦笑いを浮かべるのみだった。
「……少し、身嗜みを整えられたがよろしいでしょう。夜着のままお出でになるのは、幾ら何でも」
先日の宴の時に纏った衣装を衣装箱から取り出すと、馬超の夜着の上から羽織らせる。
帯を留めるのを手伝いながら、馬岱は馬超の後れ毛を直してやったり、いらぬとごねるのを宥めながら飾り物を下げさせた。
すっかり整うと、馬岱は馬超の周りをぐるりと回り、前後左右からその装いを確認した。
「……何だ」
満足げに笑う馬岱に気恥ずかしさを感じ、馬超は不貞腐れたように馬岱を睨めつけた。
「いえ、さすがは西涼の錦、と見惚れていただけの話ですよ。さ、殿のところにおいで下さい」
「俺に何か用ではなかったのか」
馬超の問いに、馬岱は首を振った。
「また、明朝にいたします。……朝は、どのようになさいますか」
馬岱の言葉に察するところがあり、馬超の頬が染まる。
「……俺が、声掛けよう。それまでは、いい」
はい、と馬岱が頷き、馬超の為に扉を開ける。
恭しく頭を下げて見送られ、馬超は気恥ずかしさから足早にの室に向かった。
「」
声がけるものの、応えはない。
の室は、例の中から鍵が掛かる室(趙雲が壊した鍵は修繕された。代金は、馬岱が当然のように趙雲に請求し、支払わせた)なのだが、扉を押すと軽く開く。
は、牀に寝そべりこちらに背を向けていた。
なだらかな曲線は、男にはない柔らかなものだ。白い夜着が闇の中にくっきりと線を描き出し、馬超は今更ながら緊張がこみ上げるのを感じた。
「」
声を潜めてそっと近付けば、は、すやすやと熟睡していた。
予想通りといえ、がっくり来るのは止めようもなく、馬超は牀に手を着いて項垂れた。
「……孟起?」
物音か気配にでもに起こされたのか、が寝惚けた顔で振り返る。寝汚いと自他共に認めるのことだから、これぐらいのことで起きるのは非常に珍しい。
待っているつもりだったのだが、薄闇と静けさに、つい眠りに引き込まれてしまったと言い訳をしている。
目を擦る仕草はやはり幼く、馬超は保護欲に似た愛おしさに胸を高鳴らせた。
「孟起、どうしたのその格好」
折角の馬岱の苦心も、には通じないらしい。
そら見たことかと馬超は口をへの字に曲げる。が、の言葉は後に続いた。
「普段の鎧兜もいいけど、これもカッコイイね」
寝惚けているからか、素直に賞賛されて馬超の頬が熱くなる。
「……そ、そうか」
「うん、似合ってる」
妙な間が空き、馬超はきっかけを失って惑っていた。
は、馬超が何かを言うのを待ってでもいるのか、馬超をじっと見詰めている。やはり寝惚けているのかもしれない。
「……それで、その、用というのは何だ」
どうにも良い考えが浮かばず、馬超は野暮ったい問いかけを口にしてしまう。閨の睦言の切り出しとしては最低と言っていいだろう。
だが、はあっさりと、あぁ、そうだったと笑みを浮かべた。
少し恥ずかしげに目を伏せ、ちらちらと馬超を伺う。
男らしく、無言で抱き寄せでもした方が良かろうか。
愚考を繰り返しながら、馬超がよし、と腹を括り、に手を伸ばそうとした瞬間だった。
「私、夢遊病なんじゃないかと思って」
は、突然馬超の知らない言葉を口にした。
「……夢遊病?」
「うん、……?」
馬超の手に気付いたが、不思議そうにその手を見詰める。馬超は慌てて手を引っ込めた。
「そ、それはいったい、どのような病なのだ……まさか」
重い病なのではないかと、馬超の背筋に冷たいものが走る。
は苦笑いして、顔の前で手を振った。
「ちゃう、ちゃう。あのー、何て言うかな。夜、寝てるでしょう。で、寝てるのに歩き回ったり、何かしたりしちゃうのね。起きた時、その人は何にも覚えてないと。そういう病気」
「何だそれは。物の怪にでも憑かれているのではないか」
馬超の眉根が寄る。
は再び、ちゃうちゃうと苦笑いした。
「いや、お医者様が……医師殿がさ、どうもおかしい、やっぱり歩いているんじゃないかって言っててさ。それで考えたんだけど、馬岱殿がさ」
「馬岱が、どうした」
はうー、と唸りながら、髪の毛を弄り回したりしている。
馬超が促すと、言い難そうに口を尖らせた。
「……いや、孟起も……居たみたいなんだけど……ほら、ここに来た次の日の朝、覚えてる?」
覚えているかと言われても、何がなんだかわからない。
顔に出ていたのか、はまた唸りだした。
「うー、だからさ。あのー、孟起が登城する前、私、いってらっしゃいとか何とか、言ったんでしょ?」
でしょ、と言うか、言ったのだ。
「……覚えてないのか」
は、いやぁとか何とか言いながら頭をかいている。
そういえば、そうだ。足が痛くて移動もろくにできないはずのが、扉から顔を出していたのはおかしい。一人で牀を下り、一人で扉前まで歩いてきたことになる。
というか、歩いてきた以外に考えられないのだ。
「だから、寝ている間にひょこひょこ歩いてるんじゃないかなーって思って。でもさ、外、出歩いてたら、屋敷の人が気付かない訳ないじゃない? だからさ、歩いているとしたら、室の中なんだよ」
「……それで、俺を呼んだのか」
は、もじもじとして指をすり合わせたりしている。
がっくりと肩を落とす馬超に、は慌てて言い訳を始めた。
「や、だってさ、こんなこと他の人には頼めないしさ! そりゃ、孟起は仕事で疲れて帰ってきてんだろうし、こんなこと頼めた義理じゃないけど、でもどうしていいかわかんなかったしさ!」
問題は、そんなところではない。ないが、に言ってもわからないだろう。
会話の前後を繋げたのは馬超の勝手なのだ。例え、万人が皆そうとしか取れなかったとしても、にそのつもりがなかった以上、責任を取れと言っても意味のないことだ。
「……俺は、どうすればいい」
浮かれていた分、気持ちが重く暗く沈むのは仕方ない。声に出たとしても、それぐらいは見逃してもらわねば、困る。
頭を抱える馬超に気後れしたか、は肩を竦めて馬超を上目遣いに伺っている。
「……あのぅ、もし孟起が面倒だったら」
「面倒ではない。ないから、言え」
の言葉を遮る。続く言葉は想像がついた。孫策なり趙雲なりに頼むと言うのだろう。特に、孫策は他国に物見遊山で来ているような有様だ。頼みやすいに違いない。
冗談ではない。
馬超は顔を上げ、まだもじもじしているを抱き寄せ、牀に横たえる。
その横に自分も横たわり、を引き寄せた。
「こうしていれば、起きるに起きられまい?」
は顔を赤くしていたが、何も言わない。確かにこうしていれば、勝手に起き出してふらふら出歩けはしないだろう。
「……う、あの、孟起、ホントにいいの?」
煩い、と短く答え、の体を深く抱きこむ。
「も、孟起、ちょっとごめん」
腰に下げた飾りが食い込むらしく、痛いとが顔を顰めた。
無言で飾りを外し、枕元に放る。
馬鹿馬鹿しい、早く寝てしまおう。
自棄気味に馬超は目を閉じた。
が、すぐにまた何か言いたげにするの気配に、馬超は目を開けた。
「……今度は、何だ」
「……いやぁ」
顔が赤い。きょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせていたが、馬超の耳に口を寄せる。
「……手、でしよう、か?」
意識していなかったのだが、に腰の昂ぶりを押し付けていたらしい。今度は馬超が顔を赤らめる番だった。
「……いい」
「でも、さ」
「いいと言っている」
瞬間、の指が、掠めるほどの強さで触れた。
びくん、と馬超の腰が大きく揺れる。
「…………」
「…………」
苦い沈黙が落ちた。
心臓が忙しなく鼓動を伝えるが、どちらのものなのか判然としない。ひょっとしたら、二人のものなのかもしれない、と思った。
馬超の手がの腰に回り、は弾かれるように馬超を見上げた。
「なるべく、手荒にしないように、する」
根負けしたのは馬超の方だったが、もまた、こくりと頷き馬超を受け入れた。
夜着の帯が解かれ、露になった白い双丘の頂は、既に固くしこっていた。
「孟起、それ、脱がないと……」
汚しちゃう、とが恥ずかしそうに目を伏せる。
その表情に何かを感じ取り、ふと戯れにの足の間に指を滑らせれば、既に潤い濡れている。
溢れるような濡れように、馬超は驚き固まる。かっと頬を赤く染め上げたが、馬超を押し退けようともがき出した。
だが、馬超が許すはずもなく、逆に足を動かすなと諭され抵抗を諦めたは、代わりに馬超の胸元で喚きだした。
「し……仕方ないの!」
こんなに近くにいるんだから。
不貞腐れて漏らす言葉に、馬超は一瞬呆け、こみ上げる愉悦に声を上げて笑った。
俺ばかりでは、なかったか。
もまた同じ心でいたことに、馬超は喜びを感じ、笑いを止めることができなかった。
「何、笑ってんのー!」
照れと羞恥から暴れるを抱き寄せ、唇を合わせる。
舌で深く口内を犯すと、の体から力が徐々に抜けるのが分かった。
どうするのが一番の負担にならずに済むか。
余裕を取り戻した馬超は、長い口付けの間を利用し、懸命に思索するのだった。